看護歴史探訪 (その3) 小児精神医療のパイオニア富士川游の看護観
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概要
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小児の精神医療に多大な功績を残した富士川執筆の『知学的看護法』と『日本内科全書』の内容を検証し,その内容から彼の看護観について若干の検討を加えた。富士川の『知学的看護法』はドイツのメンデルソーンの考えを踏襲したものであり,あくまでも日常生活を科学的に捉えようとしたものが知学的看護法であった。『日本内科全書』も同様に看護療法を科学的に認めつつ,内科療法の一部として看護を取りいれるべきであるとの提言であった。富士川の考え方は明治時代あるいは大正時代にありながら,医療の根本を付いておりその時代にあって時代を先取りし,斬新である。しかしながら、富士川が日常生活と健康とが微妙に絡みあっているという点で,看護を科学として捉える,あるいはその根拠を考えようとした点は注目に値したが,それは看護独自の機能として考えたのではなく,看護の科学性を認めた上で,それを内科治療に導入するべきと考えたことであった。わが国の看護界では,明治時代初期,すでにナイチンゲールの教育方式を取り入れた看護教育が開始されていたが,その形式を模倣する段階にとどまり,日常生活と健康との関連を科学的に捉え,実践の科学として看護を捉えていたことに注目するにはまさに成熟できていない段階であった。