U.S.A・CA移民の成功者牛島ポテトキングを支えた人々のその後の展開と現状: 池田久吉氏の家族史を中心として
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
筆者の出身地である福岡県久留米市郊外の田舎でも、明治時代にU.S.Aへと雄飛する青年が現れた。CAでポテトキングと称される成功者となった牛島謹爾はその代表である。その農場を支えるために郷里を中心に多くの出稼ぎ移民が投入された。しかし牛島の死亡や第2 次世界大戦により、彼等の人生には大きな転機が訪れた。慌てて帰国する者、残留して財産没収され収容所ですごした者、さらに帰国していた者のうち戦後に家族と別離し帰米した2世達も現在老齢期に至り、その子供の3 世達が農業とはまったく関係なく、シリコンバレーで活躍している家族もある。それらの事例のうち筆者の親戚筋に当る池田久吉家のファミリーヒストリーを通して、現在すでに4世に至っている実態を報告し、彼等にとって「移民」とは何だったのかを考えてみた。
論文 | ランダム
- 景観向上効果--公共事業の目的として (特集 良好な水辺環境の創出--住民と連携した取り組み)
- R. I. ^Ca を使用した二, 三の実験
- ハンドオフ・コミュニケーションを標準化する--SBARの戦略的活用 (特集 医療安全New Perspectives)
- 特集 医療安全New Perspectives
- 博物館における教育研究--科学系博物館を中心に