大阪愛珠幼稚園・北野中学校を参観した清国人
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概要
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清国、当時清朝治下にあった中国は、十九世紀半ばより、先進諸国との相つぐ戦いに敗れ、国家は衰退の一途をたどり、分割の危機にあった。二十世紀に入って、義和団事変のあと、それは決定的となった。それに対応すべく、いわゆる「光緒新政」が始められ、各分野で改革への道が模索された。各国の実情視察のため、海外へ視察団が派遣された。とりわけ、日本へは、政界、商工業界、教育界、軍界等の調査、視察団が多く出され、日本への留学者が一九〇五年(明治三十八年)には八千名にも達するに伴って、その引率者、監督官として来日する人もいた。さらに、一九〇三年には、大阪で第五回内国勧業博覧会(大阪博覧会)が開かれ、来日者・来阪者の増加に連なった。名目は内国勧業博覧会であったが、実質は万国博覧会であった。日本は、各国とりわけ清国・韓国に対し、博覧会に多く出品を要請し、清賓館、韓賓館の専用旅舎を作り、来日の運賃割引等、さまざまの便宜を見学者に計った。こうして、明治末年、来日者、来阪者が増えるなか、大阪市立愛珠幼稚園、府立北野中学校を参観する清国人が多くなった。その中に、中国近現史上、各方面で重要な役割を果した知名の人が何人かいた。その参観者たちの記録、その人達に関連することを紹介するのが本稿の目的である。
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