フィンランド東部農村の人口流出: 北カレリア・イロマンチを例に
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概要
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第二次大戦後のフィンランド農業および農村は激しい変化の波に洗われたが,その内,技術革新による農林業内部での労働力需要の減少と工業化・都市化の進展に伴う農村人口の流出は表裏一体の現象であり,他の北西ヨーロッパ諸国にも一般に見られるところである.これらに先立って,対ソ連敗戦の結果,東南部の穀倉地帯であった Karjalaカレリアを喪失したために,約40万人にのぼる難民の受入れ,入植というフィンランドに固有の問題もあった.これらについては地理学の側から幾つかの研究成果が発表され,主に南西沿岸地域と東部・北部の発達途上地域の構造的な対照が指摘されることが多かった.筆者も緊急開拓事業についての研究を展望する中で,農業の北進傾向と南部での集約化が北部からの撤退へと変りつつあることを指摘した.これらの研究は巨視的な観点に立つ地域構造分析が中心であり,農家・農民レベルの資料による事例研究は多いとはいえない.本稿でとりあげる北カレリアについては比較的詳細な研究があるが,農家なり村なりが具体的にどのように変容していったかといった問題意識によるものではない.本稿において筆者は東部フィンランドの辺境の村が主として1960年代にどのように変化したかを,上述の諸研究とは異った立場で,もっともミクロな観点から考えてみる.いわば農林業と人口の動きを中心にしたカレリアの一地方自治体のモノグラフである.このような研究が単独でもつ意味はあるいは小さいかも知れないが,多くの地域についてのこの種の研究の集積が巨視的な研究とは異った方向から地域研究に資するところがあると考えている.
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