教育的関係(Ⅰ): 基本的考察
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概要
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近年,家庭内暴力や中学校における校内暴力の事件が続出し,その原因や対策について様々の立場から様々の見解が出されている.しかしながら,それらはほとんどが有効性をもたず,状況はますます悪くなってきているといわざるをえない.教育現場で先頭に立って解決にあたるべき教師が登校拒否症とでもいうべき状況にあり,退職者や,中には自殺者すら現われていることは周知の事実である.また,このような状況に対して,かなり無責任な意見が飛び交い,さらに,マス・コミの興味本位の報道に,確固たる価値観をもたない中学生がまさに付和雷同そのものの状況へと追いやられているようである.これらの中学生の親達は自分の子供に対する教育の権利と義務を完全に放棄し,その責任を一方的に学校と教師に押しつけ,まるで自分には何の責任もなく,単なるあわれな被害者であるかの錯覚に陥っているのが現実である.現在,問題になっているこれらの一連の教育的混迷とでもいうべき状況がいかなる原因によるものかは,一朝一夕に解明されるような単純な構造のものではなく,かなり総合的・根本的アプローチを必要とするものであると考えられる.しかも,現在のこの教育的混迷は教育史上かって類を見ないものであり,その意味で従来の教育思想に基づくアプローチでは根本的解決につながる可能性は小さいように思われる.そこで,本論文においては,教育の最も基本的要素である教育者と被教育者の間にある教育的関係がいかなるものであるかを解明し,そこから,現実の教育的諸問題をとらえなおし,その解決のための端緒を明らかにしたいと思う.「人問は教育によってのみ人間になることができる」といわれるとともに,「アヴェロンの野生児」や「狼に育てられた子」の例を引くまでもなく,人間は人間社会においてのみ人間でありうるとするなら,人間にとって欠くべからざる教育は人間社会における人間関係を基盤にした教育的関係においてのみ有効性をもつと考えられる.逆にいうなら,人間関係においてのみ教育が存在するのである.しかも,そのように教育的要素を含む人間関係を教育的関係とわれわれは呼ぶのである.そこで,まず,このような教育的関係の基本的構造について考察を行うことにする.
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