建国期中国における就業政策の転換点 : 1956年「農業発展綱要草案」の位置づけを中心に
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概要
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建国初期から1957年にかけての中国においては,資本主義国とはちがって「自発的意思」と「民主管理の原理」にそった失業対策事業や生産自救工場設立などの多様な実験が展開された。それは下からの「労働者統制」という思想に基づく経済民主主義の発展の上に社会主義建設を志向する共同綱領(1949年)路線の一環であった。しかし,1953年に出された毛沢東の「過渡期の総路線」によって56年に社会主義的「改造」がわずか1年足らずで完成したことにより,この新民主主義社会は流産させられてしまった。1957年には採用から配転まで国家が丸抱えするという「統一採用・統一分配」制度が敷かれるとともに,都市余剰労働力を農村に送るという就業政策の転換が起こった。しばらくして人民公社が設立されるが,それは潜在的過剰労働力を生きた資本として利用するための「社会的容器」となった。さらに文革期(1966~76年)には1,700万人に及ぶ青年の下放政策が採られるが,実は1956年1月の「農業発展綱要草案」がそれらの起点となっている。
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