北宋中期における杜詩の受容について
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概要
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盛唐期の杜甫(七一二~七七〇)の現在伝わっている詩文テクストは、晩唐・五代の時期に一旦かなりの部分が散佚し、北末期に再編集されたものである。杜甫詩はその後、北宋後期の黄庭堅及び江西詩派において詩作の規範となるに至るが、ここでは、杜甫詩の再編集が進められ、評価が確立されていく仁宗期を中心とした時期の受容の様相を検討する。五代後晉期の『舊唐書』文苑傳下所収の杜甫の伝記は、杜甫詩を高く評価した中唐期の元稹「唐故工部員外郎杜君墓係銘」序を引用しており、当時においても杜甫とその詩作への評価は決して低くなかったことを示している。また続く北宋初期には、王兎偁が杜甫詩を高く評価したが、孤立した例にとどまり、未だ大きな流れを形成するには至らない。北宋中期には文人官僚たちの間で杜甫詩が日常的に読まれており、杜甫を古今随一の詩人とする位置づけも、すでにかなり安定している。また、生前の苦労・唐朝への忠誠・人民の福利への関心・天地の機微に迫る詩作と等の、後世にまで継承される杜詩に対する基本的な捉え方もほぼ出揃っていると思われる。杜甫詩を、詩という形式を用いた歴史の記録という意味で「詩史」と呼ぶことがあるが、杜甫詩を唐代の史実を知る資料として用いた例は、仁宗期を中心とした時期の筆記小説などに多く指摘することができ、このような例が増加していくなかで「詩史」という捉え方が次第に固まったと思われ、その背景には、杜甫詩テクストに対する考証の精密化、また読み手の側の歴史への感心の強さが存在している。北宋仁宋期を中心とした時期に王洙らによって杜甫詩のテクストが再編集された際、より精確なテクストを求めて各テクスト間の校勘や表現の典拠等の検討が進められる過程で、その検討の内容や資料の記録が徐々に蓄積され、次第に注釈化していったと考えられる。裏表紙からのページ付け
- 2010-03-28
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