日吉社をめぐる断章二、三
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
『太平記』注解の補訂・追考として、日吉神社に関連する、以下の四件について述べた。まず建武三年正月、足利尊氏との京合戦に敗れた後醍醐天皇が、叡山に臨幸した際に応対した権禰宜行親、および法印定宗の事跡について、次に北朝の後光厳天皇の臨幸の時、二度にわたり私宅が行宮となった日吉社家祝部成国の経歴・縁戚関係などについて触れた。三番目に住吉神社の楠が折れた件に関連して語られる応和年間の叡山三宮の松枯れの故事は、山王神道関係の諸書にみえる、万寿二年の礼拝講由来調が典拠になっているであろうことを指摘した。最後に、鎌倉公方足利基氏の死去に係り、世の乱れを恐れて「内々」の沙汰による祈祷という表現があるが、その背後には、横川法師が日吉権現の神託を得、それを察知した武家が諸寺に大般若経転読を命じた、という事象などが意識されているのではないか、と推測してみた。
論文 | ランダム
- 読み物 金大中前大統領との思い出(2)日韓経済交流を通じての5年間
- 教師自身のメンタルヘルス(10)大人になりきれない
- 教師自身のメンタルヘルス9 アルコ-ルの問題
- 教師自身のメンタルヘルス-8-人格の偏り
- 教師自身のメンタルヘルス-7-異常に気づかれるとき