成城学園初等学校における「柳田社会科」の実践とその廃止
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概要
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成城学園初等学校(以下、成城小学校)においては、戦後の社会科の開始にあたって、柳田国男の協力のもとに社会科カリキュラムづくりをはじめた。そして、柳田も戦後教育にかける思いを成城小学校における社会科の実践を通して実現していった。また、教科書『日本の社会』の作成にあたっては、教科書単元を成城小学校において実践し、その結果をフィードバックさせていった。そして、改訂されたものをまた、成城小学校において実践していくという、車の両輪のような関係が成立していったのである。 しかし、このような、関係も1962 年度(昭和37 年度)には終焉を迎えた。 では、なぜ「柳田社会科」は成城小学校から姿を消すことになったのであろうか。 本稿では、成城小学校という、柳田にとって、いわば理想ともいえる場における「柳田社会科」の展開と終焉の経緯をさぐっていきたい。このことによって、教師たちに民俗学がどのように理解され、社会科に活かされていったのかを明らかにし、ひいては民俗学を社会科教育に活かしていくことの限界をも明らかにしていきたい。After world war Ⅱ ,Yanagita Kunio decided to practice his idea of education at Seijo GakuenElementary School (i.e.Seijo Elementary School) and started to prepare social studies curriculum in cooperation with Seijo Elementary School. He prepared educational units and lesson plans of the textbook "Japanese society". The teachers in the school used it, submitted feedbacks to him. And he corrected it. This was repeated for many times. At last he was succeeded to prepare the curriculum and became an inseparable with Seijo Elementary School. But this intimate relation with the school was ended in 1962 AD.. In such a situation this article examines the process of progress and end of Yanagita`s Theory of Social Studies in Seijo Elementary School, following these research questions- In what way, the teachers of Seijo elementary school had understood folklore? And how they had made the best use of folklore in teaching social studies?
- 2010-03-29
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