1553-72年におけるロシア・カンパニーの展開
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概要
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Ⅰ.序―ロシア貿易の開設― アメリカ銀のヨーロッパへの流入は、16世紀初頭以後、英国々内に急激な価格変動を喚起した。この急激な価格変動は、利潤インフレーションと、実質賃銀の切下げを生み、農民層の高利貸付による収奪とあいまって前期的資本の富と数との増大を招いた。前期的資本の急速な肥大化を生じた価格変動は、王室財政の窮乏化による鋳貨貶質により相乗された1)。前期的資本の急速な成長は、既存市場における競争の激化と、後年の完全市場に一層近似した市場形態を生じた。この影響は、輸出の分野ではまだそれほど強くなく、あったとしても微弱であった。しかし、16世紀20年代からの鋳貨貶質による利潤インフレーションの激化も、1551年の平価切下によって一定の限界性を示し、この年の平価切下げは、アントワープ(Antwerp)市場で羽振りをきかせていた物産のスターリング(sterling)建て価格を急落した。
- 明治大学大学院の論文
- 1976-12-01
明治大学大学院 | 論文
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