被爆体験の語り部として生きる : 広島在住のあるハルモニの語り<調査ノート>
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概要
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1928 年生まれ,「在日2 世」の李順徳(イ・スンドク)さんは,17 歳のとき,広島で被爆している。1987 年に,アメリカでの平和行動に参加したことをきっかけに,学校の生徒たちを相手に「被爆体験」を語る語り部として活動するようになった。「音もない,光もない。ほんとに衝撃も受けてない。ただ〔壊れた〕家の下敷きになった,あらあら,なんじゃろうという感じ」と語る李順徳さんは,爆心地からわずか900 メートルのところで被爆したのだ。彼女が記憶のままに語る原爆投下直後の広島は,まさに「地獄絵」そのものだが,そこに登場する人びとは,文字どおり「素っ裸のひとたち」であり,日本人も朝鮮人もない世界として語られている。李順徳さんの語りが在日韓国人女性のライフストーリーにほかならないことは,彼女が広島で被爆するに至るまでの物語,つまりは植民地支配下に仕事を求めて両親が渡日してきたがゆえに,彼女が〈そのとき,そこに〉存在したのだということと,戦後復興後かなりの日にちが経ってから,やっと,彼女たち在日韓国・朝鮮人被爆者には「被爆者手帳」の取得が可能になったという,日本人被爆者と在日被爆者とのあいだの行政的差別の存在が語られることで,明らかになる。――それだけに,被爆体験自体は,民族を超えたところで記憶され,物語られていることが,いっそう象徴的に際立つ。わたしたちは,李順徳さんのかけがえのない《記憶》が,語りをとおしてひとつの《記録》に転化する場面にたちあえたことをうれしく思う。
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