国産大衆車企業の誕生と流通販売体制の構築 : トヨタのケース
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
1920年代後半にフォードとゼネラル・モータースの日本法人が設立されてはじめて,自動車産業が大量生産・大量販売を基礎とした産業であるとの認識が高まり,新たに自動車産業に進出する際のモデルとなった。1930年代に豊田喜一郎と鮎川義介によって創業されたトヨタと日産は,創業当初から量産量販体制の構築に邁進した。本稿では,まず自動車産業後進国日本の自動車産業に対する保護育成政策の推移を概括した。つぎに,大衆車生産に乗り出したトヨタと日産の創業について紹介し,特にトヨタの流通販売体制の構築とその内容について検討した。
論文 | ランダム
- 国立大学--経済大国の極貧地帯
- 農業なき経済大国への危惧--「消費」と「生産」のミスマッチ克服を (21世紀への提言-6完-日本農業再生への条件(3000号記念シリ-ズ企画))
- 経済大国ニッポンの「国際化」に弱い!?取材・報道
- 「経済大国」の海図--貯蓄・資本供給国の展望と針路 (日本経済の行方)
- 経済大国の責任 (日本外交に望む) -- (日本の果たすべき役割)