19世紀初頭パリの救貧行政
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概要
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20世紀後半に誕生したフランスの福祉国家は20世紀初頭のコルポラティズム的社会立法を直接の起源とするが,その淵源は18世紀末から19世紀初頭のフランス革命とその救貧行政に求めることができる。それは貧民の監禁と抑圧からの解放であり,生存権の承認であった。本稿はこの時期の救貧行政の転換を,授産施設の開設,病院・ホスピス改革,福祉事務局と在宅救済に則して考察する。革命のユートピア的理想が退潮した後の,王政復古と七月王政の時代は,新旧二つの福祉理念が衝突し交錯し,揉みあう時代であった。健常な貧民救済の手段として構想された授産施設は,多大な財政負担と弊害が糾弾されて短命に終わった。病院とホスピスの改革は進んだが,無料の看護と治療は患者の命と身体との交換でなされた。在宅救済は最もフランス的な福祉の態様であり,「自助」を奨励する「公助」として推進されたが,ここにも貧民家族の監視という意図が込められていた。
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