雑誌『婦人之友』「友の会」活動における20世紀後半の農村生活改善 - 盛岡生活学校と「東北部友の会」 -
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概要
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1 大正―昭和の生活改善運動「生活改善」という言葉は1909 (明治42) 年6月7日付の『東京朝日新聞』の記事以降初めて日本に登場したと言われている1) 。この「生活改善」が官製運動あるいは半官製のイデオロギー運動となるのは第一次大戦を経た1920 (大正9) 年前後で、森本厚吉らによる「文化生活研究会」の設立や当時の文部省が主導した「家事科学展覧会(1918)」「生活改善展覧会(1919-20)」さらには同省支援による「生活改善同盟会」の発足が象徴的である。一般に、日本における「生活改善運動」とは、生活の「合理化」「簡素化」「科学化」を志向し、「過去の生活習慣や生活様式の悪いところを改変し、新しい生活様式を生み出していくこと」とされている2) 。しかし、大正期における生活改善運動は、このような思想が地方、とくに農村にまでは浸透しなかった。地方に対する政府の政策として、東北地方の場合、1913 (大正2) 年に起こった凶作から「東北振興会」の結成、さらには1931(昭和6)、34 (昭和9) 年に起こった東北地区の大凶作による飢餓や娘の身売りが大々的に新聞報道され、「東北振興」が国民的課題となり3) 、その翌年には「東北更新会」が設立され、東北の各地域で生活改善のための取り組みがなされた4) 。第二次大戦後、農村を対象とする生活改善運動は農林省によって開始された「生活改善普及事業」がよく知られており、具体的な取り組みについての研究蓄積も多い5) 。その一方で官製ではない、民間による生活改善への組織的な取り組みとして、雑誌『婦人之友』の「友の会」活動を例とする先行研究も散見される6) 。
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