鹿児島県バレーボール史 : 戦後より15年
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
戦後15年の鹿児島県バレーボールの歴史を新聞の記事を基にして調べたものである。昭和21年の6月にいち早くバレーボール協会を設立し,バレーボールの指導普及に着手したことは立派である。昭和26年に機関紙「バレーかごしま」を発刊し,昭和29年には住友金属を招いて技術講習会を開いている。成績面では,国民体育大会で,昭和22年には鹿屋中学校が中等学校男子の部で優勝という偉業を成し遂げ,昭和21年には一高女が中等学校女子の部,昭和23年には鹿屋高校が高校男子の部で準優勝している。試合会場は鴨池の陸上競技場や学校の校庭であったが,昭和23年にバレーボール専用コートとして鹿児島市営中央公園ができている。昭和29年には,玉竜高校体育館,31年には照国高校体育館が出来,雨天時,冬季の大会開催を可能にしている。昭和29年には県民体育大会に婦人の部が設けられ,昭和33年には六人制の大会が始まっている。
- 2007-03-29
論文 | ランダム
- 戦前期の日中貿易を通じた長江沿岸地域の生漆産地の形成
- Metrological Applications of Single Electron Tunneling
- 近海海底堆積物中の^Bi および^Cs I. 日本海沿岸で採取した海底堆積物における分布
- 海水中における放射性コパルトの吸着挙動
- 海水中の鉄の挙動について 可溶性鉄の生成