『Hawaii Pacific Press』紙に掲載されたペルーの琉歌
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概要
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沖縄の人々に最も好まれた表現形式になる「琉歌」は,沖縄の人々が渡った移住先の国々でも盛んに詠まれた。南米ペルーでもそうだが,ペルーの沖縄県出身者も,数多くの「琉歌」を残していた。彼らは,一体どのような「琉歌」を詠んだのか,探ってみた。 ペルーの人々の「琉歌」は,ハワイで発刊されている『ハワイ・パシフィック・プレス』に毎号掲載される「ハワイ琉歌会」の作品集の中に,数多く見られる。それは,ペルーの人々が「ハワイ琉歌会」の呼びかけに応じて,「ハワイ琉歌会」の会員になって活動したことによるが,彼らの活動期間は,1980年から1990年までの,ほぼ10年間で,そう長くはなかった。「ハワイ琉歌会」は,その期間「課題」を出していた。ペルーの会員も,当然与えられたその「課題」にそって歌を詠まざるをえなかった。それだけに,ペルーの人々は,自由にペルーのことを取り上げて歌うことはできなかったが,ペルーのことを歌った歌がみられないわけではない。 ペルーの人々が詠んだペルーと関わる歌のなかで,すぐに目につくのが「ゆす国に暮らし」「旅に身やあてん」「外国に暮らち」「余所国に居てん」といったような句である。それは彼らにとってペルーは「余所国」であり「外国」であり「旅」の地であったということを示している。そしてそれは,沖縄から海を渡っていった多くの「移民」が共通して抱いていた思いであったといっていいだろう。「移民」の歌の一つの特色は,そのように住んでいる国を,「余所国」として捕えていた点にあるであろうが,ペルーの琉歌には,特にそれが顕著に現れていたといっていいだろう。
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