「勇気」への問い―プラトン『プロタゴラス』篇の問題
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概要
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プラトンの『プロタゴラス』篇は、古来そのすぐれた劇的描写力によって名作の誉れ高い対話篇であるが、その哲学的内容に関しては、さまざまな議論を呼び起こしてきた。とりわけ、対話篇の最後に位置している、「勇気と智慧」の関係をめぐって提出される「快楽主義」は、彼の他の対話篇に見られる「快楽主義」排斥の主張と相容れないものとして、現在も論争の的となっている。そこで、今何よりも必要なのはテキストの正確な読みに基づく本対話篇の理解であろう。本論は『プロタゴラス』篇の「勇気と智慧」をめぐる議論を読み解くための序論的考察である。第1節では、先ず「勇気をめぐる第1の議論」に対してさまざまな形で浴びせかけられた批判をテキストの読みから卻け、この議論の基本的な構成がプロタゴラス(そして「多くの人びと」)の「勇気」の信念をより明確にするためのものであることを明らかにし、第2節では、こうした諸家の批判の発端となったと思われる、対話相手プロタゴラスの反論の語るところを詳細に検討し、それがソクラテスの議論の誤解に基づいていることを明らかにする。第3節では、プロタゴラスの「勇気は魂の生まれつきとその善き養いから生じる」という主張が「勇気」から知的要素を剝ぎ取るものであり、それは「勇気」を何か不可知なものとしてしまう点を指摘し、第4節では、プロタゴラスの「勇気」の信念の真偽が「美醜」という観点から問われており、その「美醜」こそが情念に翻弄される人のあり方から、徳(アレテー)へと人のあり方を拓いて行く最も重要な観点であり、そして「美」への顧慮がないとき、「善悪」は結局「快苦」としてしか把握され得ないことを示し、第5節では前節を受けて、現象(情念)の持つ力を奪うのは、情念に拘束されているあり方そのものを「美しいのか、醜いのか」と問うことによるのであり、そう問える力は、無知に気づくことによって生み出されることを指摘する。
- 1995-03-27
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