働くモノとヒト、非人格化の世界 : 宗教的・商い的ペルソーナの「自己」経験と環境を探る(その1)
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概要
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ヒトは勤勉に働くモノなるが故に苦しむ(=自由な主体だが、搾取・合理化の対象)という命題は一見矛盾していようとも、近代世界の理念と利害関心が造り出した働くヒトの自己疎外のイメージ、それも自明化したモノ言いである。「資本主義の精神」が失なわれて営利追求的働きが一人歩きするようになって以来、「働くモノとヒト」(res et persona)が不用意に混同された侭で「聖なるカオス」の海に浮沈し、「非人格化の世界」に彷徨うヒト・イメージに翻弄されるのみ、働くヒトの受苦性(=非人間化)を解決する糸口は見失なわれてしまった。本稿(=『論攷』1と2)の第一目的は、初期ハイデガーとヴェーバーの間でなされた水面下の対話を掘り起こすことで、不安な自分を隠す為に公共性の「マスクをしたヒト」の存在(das Man-ist)と「非人格化」(Entpersonalisierung)論争の関係を問い質すことである。先ず、働くモノ(=禁欲的精神)から要請されるヒト存在の仕様を根源ルートに尋ねる為に、《ヒト(=ペルソーナ)に於いて・働く・存在》の三一論的諸位相の相互連関を17の命題にして解明する。それを手掛かりに、(『論攷』3では)神と貨幣、人格性と非人格性の間に生じる「位相変換」の仕組みを開示する。ヴェーバーの「理解社会学のカテゴリー」に従い分析すると、名目上は禁欲的精神で目的合理的に行動するケースでも、精神不在の今日的実態は複雑系世界の多様なイメージで我々を困惑させる。本稿は、西欧的「史的[存在の]理念型」に固有な、支配社会学的関心を背に硬直した合理性理解の構造に疑義を抱き、非西欧的「創造的無の理念型」(の失敗事例を含む)に熱い関心を寄せるヒトの為の、巨視的な「理解社会学入門」という性格を帯びる。扱う分野が多岐に渡り地平も東西にクロスすることは避け難く、文明間に「宗教戦争」の色合いも濃い複雑系の世界にメスを入れる以上、しかも未開拓の分野だけに試論的性格だけは免れない。メタファー(=隠喩)は麻痺した悟性(=合理性・非合理性の分別能力)をリフレッシュする。「宗教社会学的メタファー言論」(religions-soziologischer Diskurs als Metapher-instanz)は、位相変換を「言語事件」(Sprach-ereignis)として捉える立場から、世界イメージが内存在的ジレンマとして抱えるコンフリクトを解決する為に導入される。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の末尾に導入された「転轍手」メタファーも、その範疇内で解釈可能となる。『論攷』シリーズの課題は次の二つ、①ハイデガーとヴェーバーの対話から非人格化の世界イメージを自らの課題として引き受ける宗教的・商い的ペルソーナの「自己」経験と意味論的環境を探る。その上で、②ジンメルと共有されるレヴィナスの討議に進み、神で有るモノが何かを考えることで「存在の彼方」に『貨幣の社会性』(La socialité de l’argent)を見極めるルートを確保し、宗教社会学的言論の可能な地平を開拓し構築する。
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