エンゲルベルト・ケンペルの「神道」研究とその背景
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概要
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20060817誤字修正版。論文の一部は、国際シンポジウム「Engelbert Kaempfer's Study of Shintoism and Its Background」、『Symposium on the Interaction between Science, History and Culture in Germany』、Beijing、China、(May 2004)にて発表。(要旨:Collection of Abstracts、pp21-24、2004)元禄3~5年(1690~92)に来日したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer)の自筆原稿に基づいて、彼の「神道」研究とその背景についての考察を行った。まず、ケンペルの日本での行動の背景として、バタヴィアにおけるオランダ知識人ネットワークが存在しケンペルもそこに加わっていたことを指摘した次に、ヨーロッパにおいては、仏教や(中国の)儒教研究が進んでおり、日本宗教の研究を志したケンペルの選択の余地は神道にしかなかったことを論じ、加えて『日本誌』の草稿であった「今日の日本」(Heutiges Japan)執筆時におけるケンペルの保有資料の状況を勘案することにより、ケンペルがヨーロッパの学界における学問的貢献という側面から、日本宗教の中で「神道」研究を選択したであろうことを指摘した。最後に、ケンペルはヨーロッパ人として初めて、日本の起源が中国にあるという学説を言語学的、地理学的に否定した。ケンペルは日本民族がバビロンに直接由来する最も古い民族と考えて、そこで自身の学説を証明するために、日本の起源と関連する日本固有の宗教「神道」を重要視した。それによってケンペルが「神道」研究に力を注いだことを明らかにした。
- 2005-08-31
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