エッブスの時を超えた外延の同一性という考えについて
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
われわれが知識を共有することと語の外延をどう理解するかということには密接な関係がある。ゲーリー・エッブスは,『時を超えた外延の同一性という考えそのもの』の中で,形而上学的原則(M)(語の使用がその外延を決定するというテーゼ)が時を超えて外延が同じであるという実践的な判断と矛盾することを指摘し,(M)を捨て時を超えて外延が同じであるという実践的な判断を受け入れることを提案する。彼によれば,外延が同じであると理解することは,主張することや主張を評価することなどのわれわれの現実の言語的実践と深く結びついており,お互いの語を額面通り受け取ることは,これらの実践の欠くことのできない部分なのである。この論文では,このエッブスの時を超えた外延の同一性という考えについて考察する。そのため,まず,エッブスの考えがどのようなものかを確認する。次に,彼の考えには係争点に関して何が常識かという問題があることを指摘する。それから,その問題にもかかわらず,彼の考えは論争の共通基盤を求めるという点で妥当すると論じる。そして最後に,その考えをさらに発展させるためには常識の問題に対する態度はどのようなものになりうるかを素描する。 The concept of knowledge sharing is closely related with how we understand the extensions of our words. Gary Ebbs points out in "The Very Idea of Sameness of Extension across Time" that the metaphysical principle (M)(The thesis that the use of a word determines its extension) is incompatible with our practical judgments of sameness of extension across time. He proposes that we abandon (M) and trust our practical judgments of sameness of extension across time. According to his theory, our grasp of sameness of extension is greatly connected with our actual linguistic practices of making and evaluating assertions etc. and an integral part of these practices is to take each other's words at face value. This article examines Ebbs's idea of sameness of extension across time. First, I will review Ebbs's idea. Next, I will point out that there is a problem in definition of what is common sense about disputed points. Then, I will argue that in spite of this problem, his argument is valid because of the search for common ground . Finally, I will outline what the attitude towards the problem of common sense should be like in order to develop the argument further.
- 「図書館情報メディア研究」編集委員会の論文
「図書館情報メディア研究」編集委員会 | 論文
- 〈原著論文〉 アジアにおける農産物の研究動向
- <原著論文>映像コンテンツの表現技法に関する評価研究 : トランジションの効果について
- <原著論文>手描き図形を媒体とした感情伝達
- 〈原著論文〉プラネタリウムにおける利用者減少要因と対策に関する研究
- 〈原著論文〉読書における異なる表示媒体に関する比較研究 : 呈示条件が読みやすさに及ぼす影響について