地域工業化と都市 - 19世紀後半北東部イングランド製鉄業とミドルズバラ -
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概要
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故玉置紀夫教授追悼号本稿の目的は,19世紀後半におけるイングランド北東部重工業地域の中心都市の1つ,ミドルズバラ(Middlesbrough)の都市形成を地域工業化の過程の中で考察することである。クリーヴランド地域の製鉄工業は,19世紀半ば以降,幾つかの幸運な条件に恵まれて急速に拡大した。当初は石炭積出港,流通の拠点として建設されたミドルズバラは,その後,鉄鉱石および銑鉄,可鍛鋳鉄製品,機械の生産中心地,「移出基地」(Export Base)としての地位を獲得し,クリーヴランド製鉄業の牽引車となった。この地域には,高炉の規模と構造・精錬方法等において,「クリーヴランド式製鉄法」(Cleveland Practice)と呼ばれる生産性の高い,独特の製鉄技術が発展した。拡大する雇用機会と高賃金に引き寄せられて,大量の人口がこの都市に流れ込んだ。本稿では,現在,筆者が進めている,複数時点のセンサス個票の名寄せから個人の移動歴を復元する手法を用いて,人口移動の具体的なあり方を分析し,労働市場の特質を明らかにする。また,製鉄業を中心とする地域工業化の過程で,中心都市ミドルズバラが果たした機能と他の都市,例えば北東部重工業地域にあって,同じく19世紀半ばに製鉄業,機械産業を導入したダーリントンのそれを比較し,違いを考察する。消費財産業の発展と地域経済の安定的な発展に不可欠の金融機構の整備を背景に,地域経済に有機的に組み込まれ,凝集点としての立場を強化したダーリントンには,地域経済に根を下ろした産業構造が18世紀までに定着していた。製鉄業・機械産業はそうした基盤の上に接木された。これに対して,単一産業に依存する産業構造,労働力・技術・経営における製鉄業への過度の集中,居住環境の悪化に悩むミドルズバラは,旧産業から新産業への転換と地域経済の核として蘇生し,生き残る道を閉ざされていた。
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