グリフィスにおける横井小楠像の形成過程
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
グリフィス(William Elliot Griffis) は明治の初めに日本に来たお雇い外国人の草分け的存在である。オランダ改革派教会に後押しされながらアメリカから来日し、一八七一年に福井に赴き、藩校明新館で理化学を教え、翌年には東京にでて開成学校の化学教授として化学局の創設にかかわるなど教育に貢献し、一八七五年に帰国している。帰国後はThe Mikado's Empire皇国を出版し、牧師あるいは著述家として、終生精力的に日本の紹介に勤めた人物であることはすでに知られているとおりである。またグリフィスは明六社の通信員になっており、福沢諭吉をはじめとする明六社員との交流も確認できる。そのグリフィスがなぜか会ったことのない幕末の思想家横井小楠について強い関心をもち、彼の著作や論説のなかでしばしば言及しているということが、かねてからわたしの興味を引いていた。その点に関して山下英一氏は次のような指摘をしている。小楠についてグリフィスは「横井小楠は王陽明の哲学の熱心な信者で、心はキリスト教信者であった。一八六九(明治二)年キリスト教信仰の自由を主張し、差別されていた人々をも公民にまで引き上げようと計ったため暗殺された。」(日本のラトガース卒業生一八八五)と述べ、「その精神において、これはリンカーンの偉業にも比すべき仕事である。そしてリンカーンのごとく、彼の労苦は暗殺をもってむくいられたのだ。」(ミカド・日本の内なる力一九一五)と小楠の不慮の死を悼んでいる。グリフィスは小楠の「学政一致」などにみられる思想の根本は中江藤樹によって理解された中国明代の学者王陽明の哲学であると考えた。藤樹の陽明学のなかの知行合一論は「学問は天下国家をおさむる政なり。本来一にして二、二にして一なるものと心得べし」と説く。「為すべしと判断したことは必ず実行せよ」との実際主義が江戸幕府の官学であった朱子学に対抗する思想になった。まさにグリフィスの国アメリカのフロンティア精神と近代科学の普及を標榜するプラグマチズムに通じる考えであった。また小楠をキリスト教信者であったとグリフィスが考えた。小楠は西洋近代文明の背景、経世済民の働きにキリスト教があるとしてその肯定・受容の態度をとった。それがグリフィスに小楠をクリスチャンと思わせたのだろう。ここにグリフィスの小楠像に関する問題点は、ほぼ集約されていると言ってよい。このなかで山下氏は小楠像の形成過程をグリフィスの側から内在的にとらえようとしているのであるが、それでも差別されていた人々グリフィスにおける横井小楠像の形成過程をも公民にまで引き上げようと図ったという理解はどこから来るのだろうかという疑問は残る。いずれにせよ、横井小楠を① 被差別民の解放者、② キリスト教信者、③ 陽明学者とみる視点は、現在の横井小楠研究者の視点と大きな隔たりがある。グリフィスのそうした横井小楠像の形成過程を具体的につきとめるのが本稿の課題である。なお本稿でしばしばふれるグリフィス・コレクションとは、アメリヵニュージャージー州ラトガース大学のアレクサンダー図書館スペシャルコレクションズに収められているもので、グリフィスみずからが保存した日記・書簡・草稿をはじめとして、かれが日本で集めた地図や民俗資料などを含む一連の資料群のことである。また本文中の引用史料に被差別民に関して差別的な用語や表現を用いている箇所があるが、それはあくまで歴史研究・歴史分析の必要上引用するものであって、差別意識を助長することを意図するものではない。史料を差別意識助長のために利用することは許されるべきことではないと考える。
論文 | ランダム
- 膝関節屈曲運動におけるハムストリング筋の筋活動の特徴(運動器, 第59回日本体力医学会大会)
- V6-1 balloon 拡張器を装着した極細径内視鏡による簡便な内視鏡的消化管拡張術(第38回日本消化器外科学会総会)
- 473 balloon 拡張器を装着した極細径内視鏡による簡便な内視鏡的消化管術後狭窄拡張術(第37回日本消化器外科学会総会)
- 235 胃癌治癒切除後における腹膜再発のリスクとその術中判定に関する検討(第36回日本消化器外科学会総会)
- 83 経皮内視鏡的胃瘻造設術の検討 : 特に手技と現況および合併症を中心に(第36回日本消化器外科学会総会)