細胞膜の異常拡散 : 細胞内物性の理解へ向けて(最近の研究から)
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概要
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親水基と疎水基を持つ脂質分子は,水溶液中では,親水基を外側に向けながら自己集合する事により脂質2重膜を形成します.この性質により,脂質2重膜は,細胞の内と外を隔てる細胞膜として機能します.そして,脂質2重膜は,単に膜として機能するだけでなく,膜を形成しながらも流動性を持ち,膜貫通タンパク質が膜上で拡散する環境を整え,様々な生物学的な反応を促進させる役割を果たしています.通常,粘性流体中の微粒子は,ブラウン運動として知られていますように,溶媒分子からの揺動力によりランダムな動きを示します.そして,流動性を特徴付ける平均2乗変位(MSD),〈x^2_t〉,は時間に対して線形に増大します.しかしながら,からみあった高分子溶液のような粘弾性流体中では,微粒子のMSDは,線形に増大する通常の拡散ではなく,劣線形的に増大する異常拡散(遅い拡散),〈x^2_t〉∝t^α(α<1),になります.脂質2重膜は,これまで,高粘性流体であると考えられてきましたが,粘弾性に関する精密な測定実験は難しく,粘性流体なのか粘弾性流体なのかは未だ明らかになっていません.本研究では,水と脂質分子からなる系の分子動力学シミュレーションを用いて,脂質分子の軌道を解析する事により,脂質2重膜を形成する脂質分子の異常なダイナミクスについて報告します.我々は,脂質2重膜は短い時間領域で粘弾性を持つ事を発見しました.また,脂質分子は平面上にしか動く事ができないため,分子の混み合いが生じ,膜中に空隙ができる事によりはじめて大きく動ける事がわかりました.さらに,脂質分子が大きく動くまでの時間分布はベキ分布になり,それに起因して,長時間平均量が非常にゆっくりと収束する事を発見しました.これらの知見を得るには,シミュレーションで得られた脂質分子の重心の軌道を用い,長時間平均で定義されたMSD(TAMSD)及びその揺らぎを調べる事が必要です.長時間平均が空間平均に一致するというエルゴード的な系では,観測時間を長く取れば,TAMSDはMSDに一致します.したがって,もし系がエルゴード的であるならば,1分子の軌道のみから拡散性を知る事ができます.さらに,TAMSDの揺らぎの観測時間依存性を見る事により,エルゴード性の破れや揺らぎの異常性を明らかにする事ができます.異常拡散は粘弾性流体だけではなく,アモルファス半導体における荷電粒子の輸送,細胞内輸送,生物の探餌行動等の様々な自然現象において観測されます.特に,生きた細胞内におけるタンパク質やmRNA等の異常拡散は注目を集めています.そこでは,TAMSDが遅い拡散を示すだけでなく,その拡散係数が実験毎に大きく異なる事が明らかになってきています.現在,このような非再現性の物理の基礎理論やその生物学的な役割の解明が期待されています.本研究では,TAMSDのエルゴード特性を解析する事により,脂質2重膜は粘弾性に由来した異常拡散を示すだけでなく,TAMSDが観測時間に対して非常にゆっくりと一定値に収束する事がわかりました.この結果は,細胞内の異常拡散を理解する上で重要な知見を与えていると考えています.
- 2014-02-05