高田保馬の青春
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概要
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社会学・経済学の研究者として多大な業績を残した高田保馬の学問的な出発点を確認する。一九世紀の後半に佐賀の農村に生まれた文学青年であるは高田は、文明化の一方で取り残された農民たちの貧困の現実を見て育った。地元の中学時代に救貧を論じた文章を発表したという。この関心は熊本の五高時代に一層、確実なものとなっていく。高田は最初、医学系に進むが文系に再度入学した。校友会雑誌の編集に携わり、自らも社会主義を紹介する評論を発表した。日露戦争の時期には、トルストイの平和論を好意的に論じている。人道的な監獄改良の先駆者であるジョン・ハワードを紹介しながら犯罪の社会的原因についても考察した。このように、高校時代の高田は貧困発生の社会的構造を探り弱者への差別を解消することに関心を向けていった。高級外交官子息である同級生の一高転校問題を発端とする栗野事件に対しても、特権者を優遇する学校当局の姿勢を批判した。栗野事件については社会主義の主張でも競合した同級の大川周明の政治的立場と対立した。高校時代の高田は社会学の必要性を認識し、社会運動のための理論構築のために京都帝国大学に進路を定める。しかし社会学講座の講師であった米田庄太郎によって、運動論的な視座が打ち砕かれ、高田は地道な理論的探求の道を選んでいくことになった。
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