政治学と教養
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概要
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「すべてについて何事かを知り、何事かについてはすべてを知る」というJ・S・ミルの言葉を手がかりに、第二次世界大戦後の日本における政治学と教養との関係を考察する。一九四七年に「科学としての政治学」を宣言した丸山眞男は、一方では政治的現実と相交渉する「現実科学」をめざし、かつての書斎政治学に帰ることを戒めたが、他方では権力の運動法則を追求する「純粋政治学」を模索した。一九五七年前後の丸山がミルの言葉の意味での「教養人」を志したとき、権力の次元だけでなく技術や倫理の次元からも立体的にまた人間学的に政治を捉えようとしていたが、やがて専門化する政治学を離れて思想史へ帰った。丸山の教養の理念には、軍国支配を招いた近代日本の非政治的な教養への批判があり、一九四六年には公民教育への関与もあったが、丸山が「政治的教養」を論じることは多くなかった。最後に、一九七〇年代以後の丸山の「知識人の宿命」をめぐる談話などから、ミルの言葉の出所を探り、政治学と教養との関係を考えようとする。