「満州」における「からゆき」救済事業 : 益富政助と満州婦人救済会をめぐって(3)
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概要
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論説(Article)日露戦争以後、多くの日本人が「満州」に在留することになったが、その中には無数の娼婦がいた。本研究は、彼女たちの救済を目的に設立された満州婦人救済会の働きと、その中心となった益富政助を通して、この時期のキリスト教と植民地政策の関係について考察する。After the Russo-Japanese War, as there turned out to be a lot of Japanese residents in "Mansyu", there weve many prostitutes. Masasuke Masutomi established Mansyu relief association for them in Dairen, The purpose of this study is to think about the meaning of the relation between christanity and Japan's policy of colonization in "Mansyu".
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