モーリス・メルロ=ポンティにおけるフロイト主義
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
以上われわれは,メルロ=ポンティにおけるフロイトと精神分析の解釈を,年代順に考察・解釈してきた.彼は,既に初期の著作からフロイトの洞察に関心を示し,最晩年に至るまで,その興味は持続し,重要性をましていった.彼が,それらの著作と論文で,一貫して問題としていたのは,われわれが「性の広がり」と呼んだもの,すなわち,性的対象及びそれらと結び付く身体器官が多種多様であることであった.特に,「知覚的同一性」,「シンボリズム(象徴性)」,「多元決定」といったフロイトの概念に代表される考えは,絶えず彼の議論の中心に位置していた.フロイトが,それらの概念において共通して示していた事実は,***や性的活動において,その対象は様々な形で移行し,交換し合い,また同時に指向されることである.さらに重要なことは,これら性的諸対象の間の結び付きは恣意的・偶然的なものではなく,むしろ,性的活動において指向されているのは,それら諸対象の結び付きを裏打ちしている「系列」自体であり,「次元」や「極」自体である事なのである.フロイトの提示したこの事実を,いかに自分の哲学に組み込むかにおいて,彼の前期と後期の立場は異なったものとなる.前期において彼は,この性的指向や対象のあり方の特徴を,客観的知覚とは異なるものであると主張しながらも,それを高次の構造や人間存在に統合し,両義的な知覚意識と捉えることで説明しようとしていた.しかし,後期の思想では,この性的活動が,意識の次元とは異なった,独自の意味層を形成していることを主張し,さらに,それが知覚意識のモデルであり,知覚を組織する骨組みであるとする見解に到達するのである.このメルロ=ポンティの到達点から引き出せる結論は以下のようである.1.知覚において原初的に指向されるのは,個物・個体ではなく,ある系列であり,領野であること.むしろ個物は知覚において後発的であり,この系列や領野の知覚,すなわち「象徴的母胎」の知覚こそが,諸対象の交換性・等価性を可能にしているのである.この立場を取るならば,個物の知覚から出発して,その後に,諸物間の関係の知覚を神秘的な形で想定しなければならない誤った観点を放棄できるのである.よって,知覚の起源に関して,今後探求されるべき点は,この「象徴的母胎」の機能とメカニズムとなるだろう.2.さらに重要なことは,この経験の分節化・構造化(広義ではゲシュタルト化と呼べるであろう)が,情動的・運動的なものと不可分であることである.諸物間の交換性や等価性を保証しているのは,単なる認識活動ではなく,***であり性活動であった.つまり,知覚野は,根源的には,主体の情動や運動能力に従った形で組織・形成されるのである.この意味で,世界は,能動的身体に応答するもの,主体の能動力=「我為し能う(jepeux)」の相関者であると言えるだろう.知覚に関するこの観点は,言うまでもなく,ベルクソンに彼を近づけるものである.
著者
関連論文
- メルロ=ポンティにおける物の超越性
- モーリス・メルロ=ポンティにおけるフロイト主義
- 教師の発達とフィールド研究 : 幼・小・中・高の教師との対話を通して教師の発達を問う(教師の発達とフィールド研究 : 幼・小・中・高の教師との対話を通して教師の発達を問う)
- コミュニケーション・スキルとは何か
- レトリックと意思伝達
- S.プリースト, 『心と身体の哲学』, 河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司訳, 勁草書房, 1999年
- 障害は「個性」か?:特殊教育とその倫理的問題
- 行為と想像力(1) : 三木清の『構想力の論理』について
- 「感覚質」問題について : G.バシュラールの「現象工学」の観点から
- アンドレ・ジャコブ氏を迎えて : 三田哲学講演会,A.ジャコブ氏「時間の問題性」の原稿翻訳と講演会報告
- 主観の空間性と心身問題 : 幻影肢と身体図式に関する哲学的考察