生産と市場の対応関係と「再生産表式」の再検討 : ツガン・バラノフスキーの問題提起の意義と宇野弘蔵の労働力商品論の登場
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概要
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本稿の主題は,資本主義経済における「生産と市場との対応関係」という根本問題の検討にある.この問題は,「産業資本主義」の開幕時代の経済学である古典派経済学によってはじめて提起され,アダム・スミス以来の古典派経済学の伝統に立つ「生産の経済学」の確立者であるリカードと,その批判者であるマルサスとの間で論争が行われた.この「生産と市場との対応関係」という根本問題は,資本主義経済において総供給と総需要とが対応関係にあるとするのか,それとも別個の要因によって独立に決定されるのかという問題でもある.この問題は,20世紀において,ケインズによっても,第一次世界大戦後の世界的不況に対し,有効需要の構造的不足(現実的には,設備投資の構造的停滞ともいえる)という問題としてあらためて提起された.マルクスは,古典派経済学の継承者であり,『資本論』システムにおいてこの問題を,資本の生産過程と資本の流通過程との統一,具体的には社会的全体としての資本の再生産の条件として考察した.したがって,本稿は,『資本論』第2部「資本の流通過程」が,「資本の循環形式」と「資本の回転」に続く「社会的総資本の再生産と流通」すなわち「再生産表式」によって総括されていることの理論的意味を考察する.次いで,ツガン・バラノフスキーが,この『資本論』第2部の「再生産表式」をめぐる論争において,生産が市場を形成すること,すなわち生産手段部門における生産の拡大が,社会的再生産の拡大を主導することを明らかにしたことの理論的功績を再確認する.ツガンは,19世紀末の「鉄道帝国主義」時代において,「再生産表式」によって生産と市場の対応関係を再検討し,消費財生産部門が縮小しても,生産財生産部門が拡大すれば,社会的再生産過程全体の拡張が可能であることを明らかにし,生産に対する市場の過少を説く過少消費説を全面的に否定した.宇野弘蔵は,このツガンによる理論的問題をさらに踏まえて,資本主義経済の再生産,具体的には資本の蓄積過程を根本的に制約する要因が,労働力商品供給の限界にはかならないことを提起した.そこで本論文の第一章は,『資本論』第2部「資本の流通過程」とその第3篇「社会的総資本の再生産と流通」の『資本論』全体系に対する地位を考察する.第二章は,「生産手段生産部門」と「消費資料生産部門」に分かれる再生産表式の内容を検討し,ツガン・バラノフスキー説と過少消費説批判の理論的意義と問題点を論ずる.第三章は,宇野弘蔵の『資本論』体系の再構成における再生産表式論と,その独自の理論的問題提起である労働力供給限界論とを考察する.