東北近世窯における窯道具の転換的原因
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概要
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はじめに 代表的な近世陶磁器の考古学研究としては、1980年代から始まった大橋康二の肥前陶磁器研究と藤沢良裕の瀬戸美濃研究がある。両産地に限定したものではあるが、全国的に出土する製品を編年によって分類し、年代推定と分布調査を可能にすることで、近世の陶磁器の流通状況を把握するという大きな成果をあげた。遺跡から出土する近世の遺物に、産地と年代という分類基準を的確に与えることができるこの分類方法は、各地の発掘調査報告書に反映されていき、次第に産地研究が未着手な在地窯の製品にまで、同様の手法が適用されていった。伝世品をもとにした骨董的視点により、製品の特徴を掴み、産地を推定・報告する報告書が増加したのである。このような分類基準は大胆な仮定を基にしており、考古学的方法としては大きな問題を含んでいる。この問題を解決するには、両研究同様に各地方窯跡の研究を地道に行い、遺物のデータをそろえていく必要性がある。このような問題意識から著者は、平成19年から20年にかけて、山形県置賜盆地に点在する成島系窯業の成島焼窯跡・菖蒲沢焼窯跡・瀬戸山窯跡の遺物調査を行った。現在も同盆地に所在する深山焼窯跡の調査を継続している。調査の結果、製品とともに多数の窯道具を確認した。窯道具とは、窯床の砂土に製品が直接接触することを防ぐ台や、自然灰の付着を防ぐための容器、製品の大量生産を目的とした積み重ねの際、製品間に挟む粘土塊など、様々な目的から焼成時に使用する粘土製の道具である。利潤を目的とした産業である窯業は、市場の需要に合わせて、生産品の器種と形態を変化させることになる。近世の瀬戸美濃が江戸中期以降、京焼のような人気の高い商品を複製していく例と、18世紀の相馬焼が、更にその瀬戸美濃陶器を複製していく例はこの典型であり、市場での他の生産地製品との競合の結果、引き起こされた現象だといえよう。このような製品のコピー(複製)は、近世中期以降も各地の窯業で行われ、製品が没個性化していく傾向があったとみられる。対して、製造技術のコピーは、友好的、もしくは敵対的な人的交流がなければ成立し得ないといえる。陶磁器の先進技術地を抱える藩が、職人の流出を防ぐために禁令を敷くことからもこの推定は可能である。このように考えれば、製品の形態には市場の需要、窯道具の形態には産地の技術が反映ざれているといえるだろう。こういったことから、地方窯の産地を同定する基準設定の準備として、窯道具の研究が必要になると考える。近世初期から中期段階の東北窯業の窯道具は、大生産地のいずれかに技術の派生経路を、確認できるが、次第に変化し、伊藤正義が「先進地の技術・器種が混在しながら吹き溜まった」と抽象的に表現しているような状況となり、技術の系譜も混然としてくる。全国の窯場の開窯数・閉窯数を分析すると(図1)、窯業は18世紀後葉から19世紀、つまり近世後期に、全国的に増加することがわかる。その内訳を分析すると、16世紀後葉の開窯は九州が64%を占め、中部23%、残りの13%が北海道・東北・北陸・四国・中部・近畿・関東・沖縄の8ブロックに分散している。対して18世紀後葉は九州が30%、中部25%、近畿12%、四国11%、中国10%、東北9%、関東2%、19世紀前葉には九州14%、中部26%、中国17%、近畿16%、東北13%、四国9%、関東5%、19世紀中葉には、九州11%、中部37%、中国・近畿14%、東北11%、関東・四国6%を占めることになる。このデータから近世後期は、全国的な窯場の増加と同時に、地方への窯業拡散が進んだ時期であることがわかる。今回調査した成島系窯業は、この拡散増加時期に開窯しており、その窯道具を分析することで、同時期に開窯した東北諸窯の技術を明らかにできる可能性があると考える。後述するが、東北各地の諸窯はこの時期以降窯道具を改良していく。この現象から、東北の窯業技術は窯場の拡散・増加に伴って発展していることが予測できる。本稿は、この窯道具の転換のメカニズムを、成島系窯業をモデルケースとして解明することを目的とする。
- 2009-03-13