神道式墳墓とは何か(五)
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概要
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明治維新政府は倒幕直後から神道国教化政策を国民統合の柱に据え、古代の神祇官再興を目指した。一八六八(明治元)年、明治政府はまず「神仏分離令」を発布し、続けて七二年、「自葬の禁止」と「神官が葬儀に携わってもいい」という二つの布告を出した。江戸時代に禁止されていた神葬祭が公認され、一般人にも半ぼ強制される事態になって、政府は神葬祭専用の墓地(神葬祭墓地)を至急確保する必要にせまられた。また、国家神道による国民統合を強行するには、政府直属の国民軍創出を急ぐと同時に、不時の事態に備えた兵隊埋葬地(陸軍墓地)を創設する必要があった。この小論文では、神葬祭墓地と陸軍墓地に建立された墳墓を通して、明治政府が推し進めてきた神道がそれら墓地の墳墓にどんな影響を与えてきたのかを探ってみた。
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