第四紀日本列島におけるベニヒカゲの分布変遷史
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概要
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日本列島に分布する高山性生物が,いつどのようなプロセスを経て大陸から渡来したか,また第四紀の気候変動に適応して列島内でどのような分布の変遷を経たかについては,古くから多くの考察がなされてきたが化石の残りにくい生物についての研究は少ない.最近の分子情報に基づく研究では高山植物エゾコザクラとヨツバシオガマに関するものがある.いずれの種も本州に南北2系統が存在しその境界は東北地方にある.このような分布状態を形成したプロセスとして,南系統は本州中部山岳地域を温暖期のレフュジアとして残存しその後の寒冷期に新たな系統が再度大陸から渡来して北系統となったというシナリオが提唱されている(単一レフュジアモデル).しかし移動力を有する動物では,気候変動など環境条件の変動によく追随して移動できるため,植物とは違ったシナリオが存在する可能性がある.本州の複雑な山岳地形やそれに基づく微気象などから,日本列島に複数のレフュジアが存在した可能性が考えられる.すなわち温暖期に複数のレフュジアに避難することで地理的に隔離された結果遺伝的に特化した個体群が,その後の氷河サイクルに反応して分布を拡大・縮小することで複数の系統として今日に至っているというシナリオである(複数レフュジアモデル).このような可能性を調べるためには,調査対象生物は次のような特性を備えていることが必要である.(1)環境の変化に反応して好適な環境へ容易に移住できる移動能力を備えていること.(2)個々の個体は通常はあまり移動を行わず,生まれた集団にとどまっていることで,個体群としては系統地理的情報を継承していること.(3)生息可能な環境が地理的に狭くても継続して生息できること.(4)離散的ではあっても現在広域に分布していること.ベニヒカゲはこれらの条件を備えており,第四紀氷河サイクルの気候変動によく追従して分布を拡大・縮小すると共に,その歴史的変遷の履歴を集団の遺伝的構造に残している可能性が高いと期待される.ミトコンドリアDNA (mtDNA)のND5の一部(432bP)およびCOIの一部(510bp)の塩基配列を決定し,これらを結合した配列(942bP)に基づいてハプロタイプを検出した.分析したサンプルは北海道産119個体群147個体,本州産170個体群276個体,合計289個体群423個体である.その他参考用としてモンゴルハンガイ山脈産,ロシアアムール地域産各2個体を用いた.検出されたハプロタイプは,北海道産22,本州産25,合計47タイプであり,統計的最節約法により系統関係を推定すると,大陸産,北海道産,本州|産の3つのクレードに分岐し,それらの集団間の塩基置換は非常に大きく,一つのネットワーク樹に結合しない(Fig. 3).サンプル収集地点を北海道12,本州17の地域に分けて,AMOVAにより分散分析を行うと地域間の分散比率が有意に大であり,遺伝子流動が制限され集団間に地理的な隔離があることを示唆している(Table 2). Nested Clade Phylogeographical Analysis (NCPA)により集団に起こった過去の遺伝的イベントを解析した.Inference key (Templeton,2004)によると,日本列島におけるベニヒカゲの分布変遷の歴史は,異所的分断と連続的な分布の拡張または分散の複数回の繰返しであることが示唆される(Table 3).本州集団の4-2, 3-4, 2-8, 1-21の各クレードが全て統計的に有意と推定されているので,これらについて歴史的プロセスを追ってみると(Table 3),地理的に分化していない単一の遺伝的特性を有する集団が,温暖期な間氷期に異所的な2集団に分断される(クレード4-2).その内クレード3-3の集団は本州東北部に主として分布する北方系統であり,クレード3-4は中部地方に分布する南方系統である.次の氷河期に北方系統(クレード3-3)はrange expansion,南方系統(クレード3-4)はdispersalと推定されるように両系統は共に分布を拡張した.南方系統では分散に続いて,クレード2-7, 2-8, 2-9において過去の分断とそれに続く分布の拡張,または地理的距離により制約された遺伝子流動が生じた.クレード1-21では,引き続いて最新の分断が生じ,現在の分布域にみられるような分断分布が成立した.地理的に隔離された二つの集団間では遺伝的に異なるハプロタイプが固定される.その後の環境条件改善に適応して分布が拡大すると,再び集団が出会って(二次的接触)二つのハプロタイプの混生状態が生じる可能性がある.筆者らは二次的接触の痕跡と思われる広域分布型ハプロタイプの混生地を発見することができた.すなわち次の二箇所である.(1)北海道西部系統の分方城である幌延町中間間に東部系統のハプロタイプ(HD000)が分布する.(2)谷川連峰の一部で本州北部系統と南部系統が分布する(Fig. 6).また同系統内の広域分布型ハプロタイプの二次的接触跡として次のような場所がある.(3)飛騨山脈の白馬岳以北に妙高山系のハプロタイプ(CH110)が分布し,逆に妙高山系の一部に飛騨山脈のハプロタイプ(CH120)が分布する.(4)上位地域の岩菅山に妙高山系のハプロタイプ(CHHO)が分布する.これらは温晩期に飛騨山脈,妙高山系,上世山系に隔離された集団内で,それぞれ別のハプロタイプが固定され,その後の寒冷期に分有を拡大した結果二次的接触を生じ,その複の温晩期に再び隔離され相手側の集団内に一部の個体群が残存している状態であると解釈される(Fig. 7).(5)朝日連峰南西端に焼石山系のハプロタイプ(NS150)が分布する.NCPAによる解析と二次的接触の具体的事例から,次のような分布変遷プロセスが示唆される.つまり,温暖な間氷期には北海道,本州ともに2ケ所のレフュジアが存在し,長期にわたり隔離された結果,北海道東部・西部,本州北部・南部のそれぞれ2系統の広域分布型ハプロタイプが生じた.次の寒冷期に分布を拡大した結果二次的接触を行い,後氷期になって再び分断され現在に至っている.二次的接触の痕跡の発見は,氷河サイクルに適応して分布拡大,縮小を繰返した直接的な証拠であると解釈される.日本列島における高山性生物の由来については,大陸からの複数回にわたる渡来というシナリオだけではなく,列島内の複数地域がレフュジアとして機能することで,複数の系統に分岐したケースも多いと思われる.本研究では氷河サイクルに適応してベニヒカゲ集団が分布の分断・拡大を繰り返した証拠となる二次的接触の跡を発見したが,これは現在の分布域を広くカバーする地域からサンプルを収集した成果であって,他の生物でもサンプル収集の密度を高めれば,二次的接触の跡が見つかる可能性が高いであろう.
- 2007-06-30
著者
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中谷 貴壽
Graduate school of Science and Technology, Shinshu University
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宇佐美 真一
Department of Otorhinolaryngology, Shinshu University School of Medicine
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伊藤 建夫
Depertment of Biology, Shinshu University
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伊藤 建夫
Department Of Biology Faculty Of Science Shinshu University
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宇佐美 真一
Institute Of Mountain Science Shinshu University
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中谷 貴壽
Institute Of Mountain Science Shinshu University
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