From Russia with All Due Respect :Revisiting the Rezanov Embassy to Japan
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概要
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本稿は、近年ようやく公刊されたロシア全権大使ニコライ・レザノフの滞在日記を読み解きながら、ロシア最初の遣日使節団(1804-1805)の歴史的意義を再評価する。レザノフの滞在日記は、自らが率いた使節団が失敗した理由に新たな光を当てるだけでなく、レザノフが幾つかの副次的な目的を果たし、後の使節団の成功の礎を築いたことを示す点で、大きな歴史的価値を有する。本稿は、レザノフの滞在日記を他の海外資料と比較することで、使節団に関する理解の空白を埋めることを目的とする。また、使節団が、日本と西洋双方の文化・政治・経済的潮流を加速させ、半世紀後に日本が開国をする一因となったと論じる。本稿は、英語訳で発表されたレザノフ使節団の当初の記述が、いかに日本と長崎駐在のオランダ商人の否定的なイメージを助長し、広めることになったかを描写する初の論文である。その結果、アングロ・アメリカ世界では日本の開港が必要であるとの認識が高まり、ヨーロッパでは、長期間出島で軟禁状態におかれ、旧弊な服従儀礼を強いられるオランダ人が哄笑と憐憫の対象となったのである。本稿は、西洋の歴史家のレザノフ使節団に対する様々な見解を比べ、通常の西洋的アプローチと日本人研究者のアプローチとを対比させる。また、本稿は、日本人漂流民の送還や江戸幕府役人との友好関係の構築など、交易と外交以外の側面の重要性を強調する。結果的に、レザノフ使節団は、通商交渉には失敗したものの、半世紀後にロシアとアメリカが日本遠征隊の方策を決め、その成果を図る際の主要な評価基準となった。本稿は、レザノフや他の大使が、どのような条件であれば通商関係の樹立を成し遂げられたかという重大な問題を取り上げる。また、長崎のオランダ人が、ロシア側からの提案を拒否するように幕府に影響を与えたかどうかという長年にわたる論争を再吟味する。最後に、レザノフ使節団の現在に続く遺産を考察する。
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