《太陽》と《月》 : 文芸ならびに人間に現象する二元性の相剋(ドイツ語圏の文献に基づいて)
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概要
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《精神の昼の領域》が文明を牛耳っている現代においては,実証や裏付けという,客観的記録によって人の言動の価値が定められ,また,人の方も自分が加わっている客観的実在物たる体制や組織の意向に自分の意思のすべてを任せきることによって,主体的決断の重責から逃れた空白の安逸を楽しんでいる。他方,《精神の夜の領域》は《昼》の一元的な明るさ,健全な単純さを嗤いながら,夢想の海の中を遊戈しつつ社会的実効性に背を向け,蟄居して全能の主観に淫している。これは共に各領域の偏向著しい場合を述べたが,本来,《昼》は太陽が現出させているのであって,その暖かい光の恵みは生命維持の必要条件であり,人の心を自然の新鮮なオゾンで満たしてくれるはずのものである。また,《夜》に輝く月は,雪のごとく降り注ぐ月光によって,《昼》の景色を一変させ,その演出を通して人の感受性を富ましめてくれるものである。私は以下,精神世界を二元論的に構成する比喩,《昼》と《夜》とを,その比喩の中に象徴的に実在する天体,《太陽》と《月》とに還元することによって,この二元性の根源を問い易い形にした。そして,まず序論で,ドイツ語圏において同様な観点から展開されている二元論をフリードリヒ・シラー(1759-1805),カール・グスタフ・ユング(1875-1961)のもとに辿って,この二元性をそれぞれ異なる仕方において洞察した先達のいることの確認を試みた。さらに本論においては,エルンスト・クレッチュマー(1888-1964)のもとにその確認作業を続けたあと,ルドルフ・シュタイナー(1861-1925)の内に,この二元性の根源をただす問いに対する「答え」を探ってみる。そして,最後に《太陽》と《月》の二元論を総括することになろう。元来,この二元性は,文学作品におけるリアリズムとロマンチシズムの対置や,文学研究における実証主義とヘルメノイティックの対置とも完全に対応するものである。したがって,この二元性のあり方を文学的・心理学的・精神病理学的に探究した先達の論考を辿ったり,秘教的な著作の内にその「根源」を読み取らんとしたりする試みは,文学の本質をめぐる作業として無益なことではあるまい。
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