定心に関する心理学的研究(II) : 有意注意についての実験的研究
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概要
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定(samadhi)といわれる心理状態は単なる意識的注意集中の持続ではなく,一切の意図的図らいも捨てた心構えの持続としての平衡状態であり,如何なる"有意注意"をも払わないで,しかも心が安定統一をなす"無意注意"の状態である。本研究においては第I報にて報告した天台智〓の禅学の中核をなし,不定止観を説く六妙法門の文献的研究を更に実験的検証をする事を目的とした。すなわちその中心課題は,有意注意としての数息観坐禅呼吸がその最終到達として目指す定息呼吸(無意注意)へと移行する過程を解き明かすことであった。先ず,実験Iにおいて,坐禅未経験者と坐禅経験者についての5日間の呼吸コントロール訓練により,注意の指標としての後頭部EEGα波の増加と数息呼吸コントロール・エラー回数の減少との関連について検討した。その結果は坐禅経験者については,EEGα波の増加と呼吸コントロール・エラーとの相関がみられた。更に坐禅未経験者と比して,前半条件(15分間)より後半条件にEEGα波が増加する事,また5日間の訓練効果と上述の注意指標(EEGα波増加と呼吸コントロール)とにおいて,明らかに関連があった。坐禅未経験者においては,それらと反して,数息観呼吸コントロールという注意持続が極めて困難な事,呼吸遂行のための呼気延長に伴う呼吸筋共働がうまく成されぬ事等により,坐禅経験者にみられた上述の現象との間に相関がなかった。実験IIは,実験Iにおける坐禅未経験者の訓練期間が短期間であり,その効果が現われなかった為,未経験者に長期間の訓練試行を施した。数息観呼吸コントロール・エラー数の減少が若干みられた。この事は長期間訓練において,呼吸筋や呼気延長に関わる横隔膜の協働運動が幾分容易になったものと思われるが,注意指標としてのEEGα波からの観点においては困難な注意状況を示してた。実験IIIにおいて,呼吸コントロールに対して内的注意を従来の数息観呼吸条件,外的注意として音に呼吸を合わせたコントロール条件の二条件にて坐禅初学者に試みた。また呼吸コントロール・エラーを従来のエラー回数のみでなく,その呼吸時間の偏差値として,呼吸平均時間からのズレでもって比較検討した。坐禅熟達者(実験群)は坐禅試行の前半において,坐禅初学者の外的注意条件時の呼吸時間偏差と比較して大きかったが,試行後半に入り,坐禅が深くなってからは,逆にその呼吸時間偏差が小さくなった。それに伴って,EEG後頭部α波の出現率は前回同様,呼吸時間偏差の減少と相関がみられた。また坐禅初学者の外的注意条件における呼吸コントロールは幾分容易に遂行されたが,内的注意条件の数息観呼吸コントロールにおいては,実験Iの結果同様,その呼吸時間偏差が大きく,EEGα波の増加がみられなかった事から,数息観呼吸の困難性が示された。実験IVでは,只管打坐の坐禅と数息観坐禅の二条件を坐禅熟達者,坐禅初学者,坐禅未経験者の三つのグループを対象とし,呼気時間の平均からのズレとEEGα波との関連において比較検討した。いずれの条件においても,坐禅熟達者グループの方が他の二つのグループよりも呼気時間のズレの減少,EEGα波出現率の増加がみられた。実験I,IIの呼吸訓練結果を踏えた実験Vにおいては,坐禅未経験者に対して週三回以上,一年間に及ぶ数息観呼吸コントロール訓練をさせ,その呼気時間のズレ並びEEGα波との関係からその効果をみた。その結果,呼吸コントロール効果がみられ,その呼吸パターン,呼気時間の平均からのズレは一応に実験IVにおける坐禅初学者のそれらの結果と類似している。またEEGα波の特徴として,α波の増加並び安定化が顕著であった。対象とした坐禅熟達者群においては,前者よりも呼気時間のズレの減少,EEGα波の変化が著しく少なかった。呼吸運動は呼吸筋と呼ばれる筋肉によって行なわれている。その筋には胸腔を広げて吸息を起こす吸息筋(横隔膜と外肋間筋)と胸腔を狭める呼息筋の二つがあり,中枢神経組織(CNS)内において呼吸筋活動を支配する中枢によって,吸息,呼息の両運動が協調されている。脳幹内にある呼吸中枢は元来自動性をもつといわれ,呼吸運動リズムをそれ自体で発現し得る。その為には迷走神経が橋部にある中枢の働きと協同して,初めて呼吸中枢が交代性リズムを発揮すると思われる。それ故,自然呼吸は周期性をもつ反射呼吸なのである。しかし呼吸は意識的に深くしたり,浅くしたり,止めたりしてコントロールをする事ができる。すなわち他の内臓諸器官は自律神経系(ANS)でもってその機能を管理しているが,呼吸に限っては自律神経系と随意的コントロールの共同作業として管理され得る半不随意的運動でもある。さらに坐禅時のような定まった長呼息の場合,一定の呼吸量を保つという要求が筋紡錘のバイアスを要求された長さに定めておく力を持つことを意味している。それ故,本実験研究は筋運動の単純モデルとしての呼吸運動を注意の対象として選ぶことにより,坐禅中何らかの不安や攪乱を伴うことなく,注意状況に入り得るのである。すなわち坐禅においては,無意識自然呼吸は数息という有意注意が導入される事により,大脳皮質に依る意識呼吸へと変化するのである。坐禅においては坐腐を尻に敷くことにより,腰が高くなり,自から腹圧のかかった腹式呼吸になり,呼息のコントロールが容易になる。それ故,本実験においては呼息に注意を計る出息法を用いた。共同研究者,安東ら(1978)の研究によると,坐禅中の呼吸中枢機序は,自然呼吸において呼息相で受動的に活動的に活動している神経機構が,呼気延長呼吸では呼息相で能動的に活動しているという事,また腹圧が呼気延長呼吸において重要な要因として働いていると報告している点において,解剖学的に胸郭拡大筋の数が胸郭縮少筋より多い為に,坐禅においては腹圧をよりかけた腹式呼吸への移行によって,その呼吸運動の相補がなされるという事実からも支持されうるだろう。我々の身,口,意から発するところの動作や思考は欲(欲求)から発し,それに捉らわれる。この捉われから離脱するために,呼吸に"守意"-"注意"するのである。これら注意と脳波学上の問題点について,坐禅における数息観呼吸コントロール訓練を施した本実験研究においては一貫して後頭部EEGα波の増加,すなわち除波化,高電圧化の結果がみられ,秋重,山岡(1963,1968)による実験結果と一致しており,「α波増加は,単なる受動的性質のものとは異なり,むしろ,能動的積極的態度の持続と解釈されうる」との示唆からも,本研究における数息観も内的有意注意の持続という点で支持されるであろう。「守意とは出入の息を念ずること,己に息を念じて,悪を生せざるが故に守意となる」。すなわち出る息,入る息に心を投げ入れて行くことを守意というのである。何事も捨てて,息に心を没入して行けたならば,種々の障碍が生じなくなる,それが守意であり,有意的注意集中なのである。しかし,この呼吸というものに心を没入して行くことは,仲々困難を窮め,余程強い意志力をもって努力しなければならない。その事を熱心に持続する事によって常の如く行なわれる様になり,その時,努力が努力として感じなくなって来る。すなわちこれが無意的注意の状態である。大脳皮質からの呼吸コントロールは呼息中枢および呼吸調整中枢の賦活(有意注意)を起こすが,坐禅修行を重ねる毎に,意志による心的緊張も起らなくなり,そのコントロールプロセスは無理なく順調に行なわれている無意注意と見ることができる。共同研究者の谷口(1978)は,これら意識状態は最も明瞭にして,安定しており,坐禅初学者並びに未経験者においては種々の末梢効果が生理的に検知されるが,坐禅熟達者においてはそれらが認められないという守意-捨意の立場にて報告している。坐禅は呼吸を調整(調息)し,その事によって情動の興奮をコントロールし,以って精神の安定を計るもの(調心)と思われ,またこの様な精神の安定が,逆に呼吸作用に影響を与え,益々呼吸を整え,精神の安定(定)がより深まっていくものと思われる。
- 駒澤大学の論文
著者
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