日本におけるジョルジュ・サンドのLa Mare au Diable
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概要
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サンドの作品の日本における最初の翻訳(単行本)は1912年の『魔ヶ沼』(La Mare au Diable)である。この田園小説は現在までに11の翻訳を生み出している。これらの訳文、訳者による注、前書き、あとがきなどを検討することによって以下の3点を明らかにする。1)なぜこの作品が日本におけるサンドの最初の翻訳小説となったのか。2)この小説のappendiceの取り扱いにさいして、どのような要因が作用したのか。3)太平洋戦争後の当用漢字・現代かなづかい制定がこれらの翻訳に及ぼした影響。最初の翻訳者渡邊千冬は、農村問題に関して19世紀中頃のフランスと20世紀初頭の日本の共通点に注目し、日本人に対する啓蒙的目的からこの作品を翻訳した。彼は固有名詞を日本化し、キリスト教に関連した事柄を仏教のそれに変換した。太平洋戦争以前の3つの翻訳はこの作品のappendiceの部分を訳していない。これは翻訳者たちが当時の読者の興味の傾向を考慮したせいである。しかし、戦後になると外国文学の翻訳の目的が啓蒙から、原作の世界をより忠実に再現することに移った。そのため、川崎竹一訳(1949)と少女向けに書き直された谷村まち子訳(1964)以外はすべてappendiceを訳している。川崎は訳さなかった理由を、サンドの田園小説をより純粋な形で呈示したかったからだと説明している。杉捷夫訳(1948)の解説では、彼は当時大論争を巻き起こしていた制限漢字と新かなづかいをなぜこの翻訳中で採用したかを説明している。彼にとって翻訳は制限漢字や新かなづかいを用いて良い日本語が書けるかどうかの試験場であった。2005年の持田明子による最新訳(関連地域の地図やベリー地方の風俗に関するサンドの論文も収録)は、原著の世界をできるかぎり忠実に再現するという戦後翻訳の目的を最大限に追求したものである。
- 神戸大学の論文
著者
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