金谷御殿の造営について(計画系)
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概要
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金谷出丸は、初め馬場が設けられ、文庫、土蔵、御亭などもつくられた。享保19年(1734)に造営された金谷御広式は、出丸における大規模な建築の始まりであった。その後、安永頃に重教が隠居したとき、二つの舞台で演能が盛んに行われた。文化元年(1804)以降、表舞台は撤去されていたが、部屋の座敷飾りが充実した。その後、御殿の変遷があり、弘化2年(1845)、慶応3年(1867)には大規模な作事が実施された。
- 社団法人日本建築学会の論文
- 2006-07-09
社団法人日本建築学会 | 論文
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