「看到」,「見到」の使い分け(保田正毅教授・菅野正彦教授退職記念号)
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概要
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中国語の視覚動詞「看」,「見」は,いずれも結果補語「-到」をともなって「看到」,「見到」のカタチで用いられることがある。一般に,「看」は客体に対して「見よう」と働きかける動作の過程を表わすのに対し,「見」は「見えた」という結果をも含意するとされる。動詞自身にこのような意味上の相違が存在する一方で,「V+結果補語」の形式をとる「看到」,「見到」が並存しているということは,両者の間に何らかの区別があり,相互に異なるコトガラやニュアンスを表わす働きをしていると考えるのが妥当である。そして,それらの相違を明らかにすることは,「看」,「見」の相違,さらには結果補語「-到」の働きについての従来の見解をもさらに深めることとなる。「見到」,「見」間の相違については成戸2004aにおいて,「看到」,「見」間の相違については成戸2004bにおいて考察を行ない,一定の結論を得た。本稿は,具象物を表わすモノ名詞を客体とする表現例を中心に,「看到」,「見到」という二つの形式を直接に比較し,それぞれの特徴を明らかにすることを目的とする。
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