野馬台讖は吉備真備がもたらしたか : 藤原広嗣の上表文を読む・補遺
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概要
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一、藤原広嗣の上表文中の「讖記日胡法滅國亡」と、野馬台識の延暦九年注の中の「衡者胡法滅佛法守倭云々」「胡法滅者國随也云々」「佛法滅國邑亡」とは同じ文献から出るものであろう。二、藤原広嗣の上表文が真正な上代文献であるとすれば、そこに引く「讖記」の一条も、天平十二年(七四〇)以前にすでに我が国に伝来していた文献であったであろう。三、藤原広嗣が排斥した吉備真備(および玄肪)は、漢土の讖緯説に通暁していたが、「讖記」が舶載書であるとすれば、吉備真備が天平七年帰国時に持ち帰った可能性があろう。その呼称はおそらく「野馬台讖」ではなかったであろう。
- 神戸親和女子大学の論文
- 2003-12-01
神戸親和女子大学 | 論文
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