Essai comparatif sur les pensees eschatologiques en Chine medievale
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
西アジアの諸宗教に見られる終末論は,直線的な時間観念をもった民族の宗教に特有の思想である。そこでは,人格神である世界の創造主(もしくは世界を主宰する倫理的原理)によって世界の創造とともに結末が計画されており,時間の到達点において最終の審判と救済が準備されている。始めがあって終わりがあるという彼らの歴史意識のなかには,創造主(もしくは創造原理)が予定論的に介在しており,彼らにとって歴史とは,ただちに救済史として自覚されるべきものである。その最終段階に関する認識である「終末論」は,したがって「救済論」と不可分の関係にある。これに対して,中国中世の宗教思想における世界の破局は,決して結末を意味しない。世界は陰陽の気の消長に応じて再生をくりかえす。それは天文学的な,つまりは数学上の正確さをもつ周期的な現象として把握されている。一定の周期を経たのち,世界は更新され,理想的な社会が実現される。とはいえ,それは彼らにとっての理想の過去が復興されるのであって,新たな位相への転位はそこでは考えられていない。しかも更新された世界は,いずれまた墜落し,再び更新され,無際限にそれをくりかえすのであるから,最終的な結末はついに存在しないことになる。本稿は,以上のような終末思想の差異を比較宗教史的に明らかにすることによって,中国中世の終末思想の独自点を探ろうと試みたものである。
- 2005-03-31
論文 | ランダム
- I-B-26 ^Xe を用いた局所肺機能検査とその臨床経験 : 横隔膜疾患を中心に
- 197. Rectal Biopsy の診断的意義(先天性巨大結腸症)
- 13 気管支喘息の末梢気道肺胞領域に出現するリンパ球の検討(気管支・肺洗浄 (1))
- 311 気管支肺胞洗浄法(BAL)による気管支喘息をはじめとする各種呼吸器疾患の検討(第3報)(気管支喘息:病態生理5)
- O-57 粉砕オメプラゾールを制酸剤と同時投与し、消化管出血に対して著効を示した症例