6.「日英同盟」協約交渉とランスダウン外相(II)
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
「日英同盟」協約交渉が,イギリスと日本の両政府間で非公式に始まったのは1901年4月のことであった。当初,イギリス側に日本との協約にほとんど関心がなかったことや日本側に内閣の交代などの政治的ブランクがあったことで,日英協約の交渉がイギリスと日本の両政府間で実際に公式の討議として開始されるのは,それから半年後の10月16日のことである。この日,日本の協約案が提出された。それから3週間後,これに対するイギリスの対案(イギリス草案)が11月6日に提出された。小論は,このイギリス草案の提出から翌02年1月30日の協約調印までのランスダウン外相の対応を考察したものである。彼が最後まで同意できなかった朝鮮問題に関する議論や,その最終的な受け入れを考察した。そして彼の最終的な同意に対する元老伊藤の役割に注目した。ランスダウンには二股外交としか思えなかった伊藤の行動が,実はランスダウンが日本との交渉と並行して進めてきたロシアとの交渉と同根のものであった。結果的に伊藤がランスダウンにこのことを気づかせたことによって,ランスダウンは「日英同盟」協約の締結を最終的に決断したと言ってもよいだろう。
- 2006-03-15