近世マレー・インドネシア世界における政治的契約 : マレー語史料の分析を中心に
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
前近代の東南アジアの「契約」に対する関心は概して高いとはいえない。だが,マレー・インドネシア世界については,次のような興味深い論議が提出されている。すなわち,商業的契約,政治的契約を問わず口頭契約が一般的であったこと,また当事者間で家族的紐帯の構築が強調されていたことである。ところが,近世には,南アジア,西アジア,ヨーロッパとの交易が飛躍的に発展し,その結果,文書契約の慣行が港市を中心に現地社会へ次第に浸透していったという。以上の論議はおおむね妥当なものと考えられる。だが,現地社会の契約慣行の変容過程に関しては,なおいくつかの問題点が残されている。例えば,イスラームや他の民族の契約概念が,具体的にどのような変化を生じさせたかという問題である。また,特に政治的契約については,文書の利用が普及した後も口頭契約は維持されたという指摘もある。ただし,事例研究が少なく,またごく一部の地域に片寄っているため,それがマレー・インドネシア世界の実態をどの程度反映しているか明らかではない。そこで,本稿では,マレー・インドネシア世界の西部の事例に焦点をあて,現地語文献史料の分析を通して,上記のような問題へのアプローチを試みた。その結論は以下のようである。(1)18世紀以降,マレー社会では政治的契約が一層重要な意味をもつようになった。これには,域内及び域外の他民族からの文化的影響も認められる。(2)また,18世紀以降には,イスラーム的観念が誓約の保証として一層重要な役割を果たすようになった。ただし,内陸部のムスリム住民には,土着の宗教的観念による裏付けも依然として重要視されていた。(3)政治的契約では,文書よりも契約を結ぶ際の儀礼的行為が重要であったというL.Y.アンダヤの指摘は,マレー社会にも妥当する。(4)外来の契約概念の影響が認められるとはいえ,口頭契約の慣行やそれが宗教的観念の裏付けを必要としていた点に変化はみられない。それは,マレー・インドネシア世界の人々が,外来の諸観念を通して,自己の伝統を再構築していたことを示唆している。
- 2003-09-30