情報社会における「自己」の多元性 : その倫理的可能性
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概要
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本稿ではまず,ポスト・モダン哲学の「自己」の議論に注目した。筆者は,多元的草稿モデルに拠って立つDaniel C. Dennettの議論は確かに「自己」にまつわる伝統的思考を転覆させてはいるが,多元化する「自己」を分散的に捉えることによって既存の「倫理」を問い直し・再編する契機を捉え損なっているのではないかと考えた。それゆえ,重層的な決定としてある曖昧で多義的な「自己」というErnesto LaclauとChantal Mouffeの「自己」像を,近代的「主観性」を乗り越えるより大きな可能性をもつものとして位置づけた。続いて,Sherry Turkleが描き出したインターネット時代の「自己」の多元性とそうした「自己」の広がりについて若干の考察を試みた。そして,Turkleの研究は,インターネットとのインタラクションによって,LaclauとMouffeが言うような重層的な決定としてある曖昧で多義的な「自己」が立ち現れはじめていることを示すものと結論づけた。筆者は,既存の「倫理」に対する「異議申し立て力」の保持は個々人の生をより良きものへと向かわしめるために欠くことができないものと考えている。それゆえ,情報社会において日常的に経験されるようになった「自己」の多元性に対して大きな可能性を見たいと思っている。即ち,情報社会の「自己」像は,既存の「倫理」への「異議申し立て力」がより現実的な力となりうる可能性を示しているのではないかと考えている。のみならず,その「多元的な自己」は「一元的な自己」によっては容易にはなしえない倫理的な営みをなしうる可能性をもつのではないかとも考えている。
- 2006-03-31
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