日本の女子短期大学 : その文化的機能についての再考
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概要
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日本の高等教育における「女子短期大学」という制度は、特に欧米における教育社会学の分野においては、あまり活発に議論されてきたとはいいがたい。実際、英語圏の教育・社会学者(日本専攻)の一人であるブライアン(Brian, J. M.)は1997年に刊行された自著『日本の女子短大-"女性らしくを学ぶ-』において「日本の教育制度全般に関しては、これまで数多くの研究が(日本語・英語ともに)なされてきたにもかかわらず、こと女子の短期大学に関しては、多くの書物の中でいわば無視され続けてきた存在である」と述べているLife in a Japanese Women's College-learning to be ladylike-(Routledge : London, 1997)。そこで本論ではこのギャップを少しでも埋めることを意図して、まず第一義的にはこの日本に独特の高等教育制度である「女子短大」というものの特殊性に焦点を当て、各種特色を明らかにする。最終的には、このような高等教育機関に対するものとして、何がもっとも重要で意義のある問いかけであるかということを検討してみたい。日本の女子が高等教育の現場で達成しつつある「(40%台後半の)高い進学率」というものが、いわば「数字上のレトリック」に修飾された基本的に危ういものであるという考え方もあるが(Fujimura & Kameda 1995等)、本論でもその「危うさ」の原因のひとつをこの日本独特な高等教育機関の存在に求めていくアプローチを取った。そして、このような教育機関が日本社会全体においてどのように位置付けられるかの「再文脈化」を試みた。その際、特に女子の短期大学が現代にいたるまでの日本女性たちの学問的・職業的な到達に、どの程度貢献しかつまた悪影響を及ぼしたのかを考慮しながら、制度自体の構造的な解釈を進めていくこととした。議論の過程でこういった一種特殊な社会・教育制度を考える際に、どのような方法論的枠組みがふさわしいのかについても簡単に触れている。従来、「女子短大の社会学的意義を構造的・制度的に分析する際に有効である」とされてきた方法論的枠組みの中には、「機能主義」(Functionalism)や「解釈主義」(Interpretivism)、あるいは「マルクス主義」(Marxism)や「フェミニズム」(Feminism)などがあるが、本論ではそれらの枠組みの中に位置づけられる先行研究の事例のいくつかも紹介している。また、本論自体も不完全ながらではあるが、それらの各種理論を統合したものをその主たる分析枠組みとすることを目指した。いきおい、必然的に女子短大という「性差を有する」この社会制度そのものに対しては、一部批判的な記述があることをあらかじめご了解いただきたい。本論の後半部分では、このようなテーマを将来的に発展させていく際に有意義であると思われるいくつかの方向性も示したつもりである。
- 2005-04-30
著者
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