保憲女集は当代の歌人はもとより、近年までほとんど顧みられることのなかった私家集である。本稿では、集の堀河百首歌人への影響を指摘した拙論を承け、さらに後代まで論を発展させた。集の伝播の経緯を特定する確証は得られなかったが、保憲女集の歌語が俊恵、慈円に摂取された可能性のあることを新たに指摘し、享受の流れを試論のかたちで提示した。