黒瀬こまは、熊本女学校、福岡英和女学校を経て、一九〇五年一二月に青山女学院、英文専門科へ編入する。そこへ友人から渡米の誘いを受け、手続きのため帰省することになる。熊本には、援助者、木村萬作の甥である木村秀雄がアメリカから帰国していた。こまの恋慕の情は燃えあがり、周囲の反村を押して一緒になる。木村駒子と名のるようになり、彼女の眼は、日本社会、世界へと次第に拡がり始めていく。