報知から雑報へ : 明治初期の新聞記事
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概要
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大新聞(おおしんぶん)を代表する郵便報知新聞は政府の法令、通達また全国各地、東京府下の出来事(ニュース) を「郵便」で読者に送り「報知」する目的で創刊された。しかし、刊行されると読者大衆の興味は一面の政令の公布や諸県のニュース以上に東京府下を中心とする犯罪、情痴事件の雑報、所謂三面記事に集中した。「雑報」記事の面白さに注目して江戸文化の伝統を伝える浮世絵師と戯作者が「新聞錦絵」を工夫して爆発的な流行を起した。雑報記事を浮世絵に仕立て記事本文を添えたのである。しかし、事件の発生と錦絵の刊行との間には版画作成のための時間の差がある。この時間差を埋めて記事の挿絵の形式で、新聞記事とその錦絵を同時掲載する紙面を創案したのがタブロイド版の小新聞(こしんぶん)(雑報記事を主とする大衆紙)「平仮名絵入新聞」であった。この新聞は多くの読者を獲得し、明治十二年にはこの形式にならって「大阪朝日新聞」が創刊された。
- 埼玉短期大学の論文
- 2004-03-31