戦後西アフリカ近代建築運動と英国人建築家達の活動(梗概)
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
西洋で起こった近代建築の様式は,第二次大戦後急速に西アフリカにも普及し始めていった。本論は現地にもたらされた近代建築の熱帯への適応過程を,主として様式の受け入れられ方,及び気候条件への対応という点に着目し,その過程を旧英国領西アフリカのガーナ,ナイジェリアにおける先駆者達の初期活動を通して概観する事を目的としている。西アフリカで近代建築が戦後大規模に導入される様になった背景には政府の強力な支えがあり,その様式の展開において特異な背景を持っている。そして,戦後急速に植民地を近代化ざせようとした政策と相候って,多くの行政施設,教育施設の建設が行なわれ,独立国となってからも為政者は西洋式近代文明を引き継いだのである。他に独自の方法を築く間のなかった当時の状況はむしろ不可避なものであったともいえよう。そして急速な近代化の中で多くのアフリカ人達は近代建築を進歩の象徴として受け入れる様になった。そこにはまた,外来文化と異なる新しい固有な様式の発展の抑止という複雑な側面もあった。マックスウェル・フライ,ジェームズ・キュービット等,英国の著名な近代建築家達が競って西アフリカで活躍した理由の中には英国本国の終戦直後の経済事情と,更に近代建築を受け入れにくい保守的社会背景に比べ,アフリカは良好な市場であり,デザインの自由な展開の可能性があった点が挙げられる。これはまた,1951年のフェスティバル・オブ・ブリテンが英国における近代建築の市民権獲得にきっかけを与えた事とともに,西アフリカ近代建築を理解する上で重要な点といえよう。こうした性急な導入は,設計において一方では多くの試行錯誤を必要とし,建築家達の中には西洋近代建築の表面的直写を行なう者も多かった。気候への適応という点からは材料・設備の適切な選択,自然環境の十分な理解を欠いたために様々な問題が起こった。しかし,英国建築研究所,とりわけ戦後設立された熱帯建築部門の活動によく窺える科学的・合理的設計方法の知識の普及は熱帯で活動する多くの建築家達にとって有益であり,状況の改善に寄与した。西アフリカにおける近代建築の先駆者として最も重要な人物は,マックスウェル・フライと妻のジェーン・ドリューである。フライは英国における近代建築運動のリーダーの一人であったが,彼等は大戦中,西アフリカに渡り地域計画に携わる機会を得た。文字通りの先駆者であった彼等は土地の気候,地理,人々の生活といった様々な点において詳しく調査し,当時の科学的知識と自身の経験主義的アプローチを総合して独自の計画・設計の指針を築いていった。後に彼等の活動は熱帯近代建築の参考として各国に影響を与える様になる。多くの教育施設計画の集大成がイバダン大学計画として実現された。その他,ジェームズ・キュービット,ケニス・スコット,A.C.P.といった建築家及びグループも活躍するが,彼らも英国において当時の近代建築の美学を追求しており,西アフリカに渡ってもキュービットは気候への対応を豊かな造形表現にとり込み,スコットは一連の住宅においてミースの美学の熱帯への適応を試み,そして又,A.C.P.は建築研究機関との関わりから多くの合理的設計方法を試みた。以上の様に西アフリカにおける近代建築は,常に西洋文明の象徴であり,それは同時に進歩の象徴でもあった。こうした感覚が現地の人々に広く受け入れられた事が近代建築を自由に展開させる原因の一つになった点は興味深い。そしてまた,導入初期の先駆者達は様々な試行錯誤を行なったのであるが,基本的には当時の西洋近代建築様式の美学を根本的に改めるのでなく,むしろ踏襲しながら,科学的・合理的知識と経験を通してデザイン言語のマイナーな部分の改変により,気候への適応を試み,近代建築の中でも特異な熱帯近代建築をつくり上げていった点は注目される。
- 1986-10-30
論文 | ランダム
- 平成20年度日本造園学会賞受賞者業績要旨 イギリス自然葬地とランドスケープ--場所性の創出とデザイン
- 平成20年度日本造園学会賞受賞者業績要旨 景趣概念の導入による風致保全の手法体系に関する研究
- 特集に関する参考文献等一覧及び参考資料 (特集 観光立国とランドスケープ)
- 信州小布施に見る「つとめ」を意識した美日常のくらしと,交流のまちづくり (特集 観光立国とランドスケープ)
- 長崎さるく博の事例--まち歩き観光と「人おこし」 (特集 観光立国とランドスケープ)