戦後の住宅建設の日独比較-(その 1)
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概要
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多様な住要求に応える工業化の観点から, 戦後25年間の日本と西独における, 公共集合住宅を中心とする住宅建設と, その結果としての1970年代はじめの居住状況を比較し, 次の結果をえた。終戦直後の両国の住宅保有状況は, 共に人口1000人当り200戸前後の厳しさだった。その後25年間の住宅建設は, 日本が1950年ころから急に活発になったのに対し西独は初めから高い水準にあったという違いはあるが, 平均すると両国とも人口1000人当り年間10戸程の, 他の国々に較べても高い水準にあった。また, この間に建設された住宅の1970年代初めの保有住宅に占める割合をみると, 日本, 西独ともに約2/3までになっている。すなわち, 1970年代初めの居住状況が基本的にはこの間の住宅建設により決まっているという点では, 両国は一致している。次に, 多様な住要求への対応の中でも特に重要な世帯規模と住宅規模の関係に着目し, 住宅統計を元にこの時期の居住状況を比較したところ, 西独の方が優れていることが判った。すなわち, これが適正な関係にある世帯の割合は, 全世帯と公共集合住宅世帯では, 西独が約15%多いのである。さらに, 居住者としては現実の居住状況をどう評価しているかを較べると, 西独では日本ほど住宅の狭さを問題にしていない。したがって, 実状としても西独の方が優れているといえる。一方, この間の住宅建設の工業化水準を比較するため, 25年を均した生産性を住宅の数で推計すると, 日本が0.40戸/人・年であるのに対して西独は0.48戸/人・年となり西独が高い。また, 住宅面積でみた生産性も, 1960, 65, 70の各年では, 日本が49.1, 52.2, 78.3m^2/人・年, 西独は62.6, 67.5, 71.6m^2/人・年である。したがって, 戦後25年を均らしてみれば西独における住宅建設は我国のそれに劣らない工業化の水準にあったといってよい。これらのことから, 戦後の西独の住宅建設, 殊に公共集合住宅建設は, 多様な住要求への対応の中で特に重要な世帯規模と住宅規模の対応の点で我国に勝り, 且, 工業化の点でも我国以上の水準にあったといえる。
- 社団法人日本建築学会の論文
- 1981-08-30