コンパニーア・デッラ・カルツァとルネサンス期のヴェネツィア貴族階級
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
はじめに コンパニーア・デッラ・カルツァCompagnia della Calzaとは、15世紀から16世紀のヴェネツィアで盛んに結成された青年貴族の集団で、祝祭の主催と演出を主な目的としていた。直訳すれば「長靴下の仲間たち」という意味になるこの奇妙な名称は、各々のコンパニーアが特定のデザインのカルツァ(タイツ)をユニフォームとしたことに由来する^<(1)>。前後左右を色分けしたり刺繍を施したカルツァは、ルネサンス時代に流行した若者のファッションであった。V.カルパッチョの絵画にも、明らかにコンパニーア・デッラ・カルツァのメンバーと思われる人物がしばしば描き込まれている^<(2)>。華麗な衣装に身を包んだこれらの粋な若者たちは、ルネサンス期ヴェネツィアの絢爛豪華な祝祭の立役者であった。ルネサンス時代には、ヴェネツィアに限らずイタリア各地で祝祭がより盛大に行われる傾向が強まり、祝祭のエージェントとして同職組合(アルテ)や兄弟会などの社会集団が重要な役割を果たした。なかでも、フィレンツェの《三博士の兄弟会(コンパニーア・デ・マージ)》Compagnia de' Magiやヴェネツィアの《福音書記者聖ヨハネの大同信会(スクオーラ・グランデ・ディ・サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ》Scuola Grande di San Giovanni Evangelistaなどの兄弟会の活動はよく知られている^<(3)>。しかし、これらの集団と比べて、コンパニーア・デッラ・カルツァはかなり特殊なものであった。第一の違いは、後に述べるように、ほとんど貴族のみによって構成され、きわめて閉鎖的だった点である。第二の違いは、一般の兄弟会がキリスト教的な兄弟愛に基づく相互扶助や進行を主目的としていたのに対して、コンパニーア・デッラ・カルツァは、兄弟会の一種のような体裁をとりながらも、その実は「祝祭と楽しみ」feste e piaceriを目的とする純粋な祝祭集団だった点である^<(4)>。このような特殊な集団であるコンパニーア・デッラ・カルツァはきわめて興味深いテーマであるが、その研究はあまり進んでいるとは言い難い。今までで最も重要な研究は90年も前に書かれたヴェントゥーリL.Venturiの論文であり、その後長い間、コンパニーア・デッラ・カルツァの存在そのものがヴェネツィア史研究の中で半ば忘れられていた感さえある。それが再び着目されるようになったのは、近年の祝祭史研究の盛りあがりのおかげである。1980年頃から、まず祝祭史の方面で、また、祝祭時の催しの中でも特に演劇との関わりが深いことから演劇史の方面でも、コンパニーア・デッラ・カルツァ研究が行われるようになってきた^<(5)>。しかし、社会的な側面からの研究はまだ乏しい^<(6)>。コンパニーア・デッラ・カルツァに関してこれから究明すべき問題は数多いが、特に、なぜ15世紀から16世紀にかけての限定的な時期のヴェネツィアでこのような集団が出現し、流行したのかという根本的な疑問は、いまだ手つかずのままである。この問いに対する答えを見出すのは容易ではないが、本稿では、当時のヴェネツィア貴族社会においてコンパニーア・デッラ・カルツァが持っていた存在意義を探ることによって、この問題へのアプローチを試みたい。まず第一章では、コンパニーア・デッラ・カルツァの組織と活動を概観してその性格付けを行い、次いで第二章において、より具体的にテーマを掘り下げていくことにする。
- 1998-10-20
論文 | ランダム
- イオン修飾二酸化チタンの可視光応答性 光触媒能の検討
- 歯科用ジルコニアセラミックスの接着特性に及ぼす表面性状の影響
- CaO-P_2O_5-SiO_2-Al_2O_3ガラス短繊維を添加したグラスアイオノマーセメントの長期耐久性
- 歯科応用に向けたイオン修飾二酸化チタン光触媒能の評価
- バルーンカテーテルによる肝血流遮断下Microwave hepatic tumor coagulation therapy