戦後イタリアにおける刑法学の動向
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概要
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一 ラテン文化の華咲く国イタリアは、法律学の領域においてもローマ法の研究をはじめとして輝かしい伝統をもっているが、とくに刑法学の領域では、「刑法の祖国および発祥地」(la patria e la culla del diritto penale)と呼ばれている。そのイタリアでは、戦後、刑法学の領域で学問的活動において大いに注目に値し、前途を期待すべきものがあり、また、立法事業の面においても、一九四九-五〇年には刑法予備草案が発表せられ、新しい刑法典誕生の始動を感ぜしめている。 (1) F.Antolisei, Manuale di Diritto Penale, Parte Generale, 1952. p.17.また、「刑法の母国」(madre e cuna del diritto penale)という表現も用いられている。 cfr. Silvio Ranieri, Manuale di Diritto Penale, Vol.I, 1952, p.15. 二 従来、わが国の刑法学はイタリア刑法学、とくにいわゆるイタリア(実証)学派(後述)の影響を強く受けたばかりでなく、イタリア学派の主張を積極的に展開したいわゆる主観主義刑法論ないし教育刑法論がかなり有力である。しかも、一九〇七年に成立し、その翌年から施行されている現行刑法典は、ナポレオン刑法典の流れを汲む旧刑法典(一八八二年施行)の伝統的客観主義の体系をかなぐり捨てて、大巾にいわゆる主観主義刑法の考え方を導入したもので、保安処分こそ採り容れていないが、イタリア学派の主張を実定法化した最初の法典である。条文数がわずか二六四ヵ条に過ぎないことと、法定刑の範囲が極めて広く、そのため裁判官の自由裁量の餘地大なることが、その最大の特徴とせられている。このように学問上でも立法面でもわが国に多大の影響を与えてきた「刑法の祖国」イタリアにおいて、戦後、学問的活動においても立法事業においても見るべき進展がなされていることは、われわれとしても重大な関心を寄せざるをえない。本稿では、そうしたイタリア刑法学の新しい動向の要点をお伝えしたいとおもう。 (2) その後数次の小改正が行われて、条文は追加されたり削除されたりしているが、基本的体系は施行当時のままである。 (3) 代表的なものは、殺人罪(第一九九条)であって、死刑または無期もしくは三年以上の懲役に処することになっており、重ければ死刑、軽ければ懲役三年の者に対しては執行猶予をなしうることとされている。
- 1955-12-30
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